お遍路ウォーキング日記(207:六十六番雲辺寺へ ⑧)
【2024年7月30日(火曜日) Day 207】
今日は熱中症アラートが発令し「熱中くん」(手持ちの熱中症計)ではWBGT値が32にまでなっている中ウォーキングをして野菜即売所でネギとオクラを買ってきた。それ以外の外出は当然していないしWBGT値が31を超えると危険だ。
そうやって搾り取った歩数を足したところでほんの2㎞程しか進んでいない。勿論現在地にも変化はなく、観音寺市大野原町海老済だ。
今日の場所は数日前に通過した曼陀トンネルの真上に差しかかろうとしている。その場所が曼陀峠だ。そして文化庁歩き遍路マップでは境目トンネル手前の七田から国道を離れてこの曼陀峠に通じる遍路道を歩くことになっている。
現在の曼陀峠は曼陀トンネルの真上にあり、ここから東に行けば札所六十六番雲辺寺へ、西へ向かえば七田へと続いていた。この道の歴史は古く、屋島の合戦で負けて逃げ堕ちた平家の一門がこの場所に潜み、合戦で亡くなった一族の供養の為、曼陀供養という法要を施したのが事の始まりという。
その後もこの道は讃岐と阿波を繋ぐ街道で、その上遍路も通る重要な街道でもあり、主に農作業のための牛馬や道具を阿波から讃岐に貸与し、収穫の後に作物と共に阿波へ返却するための道だったそうだ。この道は雲辺寺の手前まで続くと北と東に分かれ、東に進むと現在の県道248号線となる。
また北に向かえば野呂内という集落に行き、そこから池田、観音寺の両方面に続く県道6号線に続くが、観音寺方面はかなりの悪路だ。
今となっては曼陀の周りには集落はおろか人の気配も全く感じられないとても淋しい場所である。農耕の牛馬の行き交いは第二次世界大戦前まではあったという。
曼陀峠から道路の分岐をへて、その先には旧曼陀峠があり、そこから先は雲辺寺まで見事なまでに集落も何も全くない■