お遍路ウォーキング日記(77:三十五番清瀧寺へ)
【2024年3月21日(木曜日) Day 77】
今日は札所三十四番種間寺を打った。種間寺はまるでアップダウンのない小さな町寺だ。
今日はこの種間寺について書く。種の字があるくらいで穀物に関係のある寺なのだろうとは思うし、周囲はとにかく田園地帯なのでイメージも湧きやすい。
これは唐から帰ってきた弘法がこの地を巡錫した時に持ち帰ってきた五穀をここに撒いたという言い伝えがある。
この地には六世紀後半に大阪の四天王寺建立のために百済から来た僧が海難を避けて土佐湾の秋山港に避難をした際薬師如来像を彫って祈願をした上で近くの本尾山の頂に奉納した。
後に弘法が堂宇を立ててその薬師如来を本尊にし、境内に五穀を撒いた。それが種間寺の始まりと言われている。
後の世になると土佐藩主の山内氏による加護があり広大な田畑が与えられたが明治の廃仏毀釈によって廃寺になりその敷地に神社が建てられた。本尊の薬師如来像は近くに観音堂を建てて安置されていたが元の場所に再興し現在にいたる。今でも種間寺のすぐ隣には春日神社という神社が残されている。
種間寺は古くから安産にご利益ありと言われていて底の抜けた柄杓が安産のお守りとして有名である。お産が無事に済んだら寺に納めることになっている。
ちょうどお盆の頃にこの寺を打ったことがあり、住職の親戚なのだろうか、子供が境内で走り回って遊んでいるのを見かけたことがある。その時は納経所の横にビニールプールまで広げていて親戚の子かもしかしたらこの寺の子どもなのかなとも思った。広いものでは善通寺から人の家ほどの敷地くらいしかないものまで、八十八箇所の札所にはいろんなお寺がある中で人の家の庭のような境内で子どもが遊び回っていたのはこの寺くらいなものだ。
種間寺を出ると次の札所三十五番清瀧寺は仁淀川を渡った向こう側の土佐市にある。仁淀川を渡るまではのどかな田園地帯が続く。
清瀧寺までの距離は凡そ10㎞程離れているが最後にきつい上り坂があり、道が狭くて難儀することは必至。車では離合も困難で難所中の難所でもある■