続・お遍路ウォーキング日記(41:二十番鶴林寺へ 其の七)
【2024/11/18(月)Day 41】
昨日の日記にも書いたように、今日はウォーキングを控えて一日中家にいたため歩数は稼げていない。札所十九番立江寺を出て、そろそろ1週間全く先に進まないもどかしさもある。
お話のネタも等についてしまい、何を書いたらいいのかわからないので、巡礼の基本中の基本の言葉「打つ」について書いてみようと思う。
「打つ」という言葉については前回の「お遍路ウォーキング日記」では書いた。わかりやすく言えば札所をお参りすること、すなわち納経をすることである。
そもそも納経というのは札所のお寺にあるご本尊と大師堂にお経を納めることを指して言うことだ。本来ならば写経を収めるのだがその数も四国八十八ヶ所巡礼では数も176あり準備をするのも大変で、いつしかお堂の前で読経をするようになったと言われている。
昔は読経を終えるとその証としてお札をお寺の柱に打ち付けていた。お札は初めは木製で釘で打ち付けていたために、そこからお寺を「打つ」という言葉が生まれた。木製の札はやがて紙のものへと変わり今でもお寺で見られる。千社札などがそれである。
すなわち「お寺を打つ」と言う事は正しい作法でお詣り下をしたと言うことである。間違ってもどこぞのバラエティー番組のように、山門の前でくねくね踊ればそれでおしまいと言うわけではない。
お寺を打った証を記録するために「納経帳」というものがある。これが現代で言えばスタンプラリーのような感覚なのかもしれないが、本質的に全く別のものである。その辺を勘違いしてはいけない。
巡礼と言うのは札所を打って回ることであり、札所の御朱印を集めることではない。これだけは間違えてはいけないことだと思う■