お遍路ウォーキング日記(76:三十四番種間寺へ)
【2024年3月20日(水曜日) Day 76】
今日は札所三十三番雪蹊寺を打ち、三十四番種間寺に向かっている。この二つの寺の距離はそれ程離れてはいないのだが雪蹊寺が高知市の街中であるのに対し種間寺はなんとも牧歌的な雰囲気漂う町外れの寺という感じがする。
まず今日打った雪蹊寺について。この寺は四国札所の中でも異彩を放つ存在である。まずこの寺は弘法によって開創された寺で初めのうちこそ真言宗の寺だったものが後に臨済宗へと改宗している。四国札所で臨済宗なのはこの寺と十一番藤井寺の二ヶ寺のみである。
本尊の薬師如来像は運慶の作である。運慶は日本中にその作品を今に残している歴史的な仏師で誰でも必ず一度は見ているような作品を残している。この運慶と息子の湛慶がこの寺に滞在し「慶運寺」と名前を変えているくらいである。
そしてこの寺は長宗我部家の菩提寺でもあった。長宗我部元親は廃寺になっていた慶運寺を復興させている。雪蹊寺と名前を変えたのは長宗我部元親の戒名を寺号にしたからである。また長宗我部家の宗派は臨済宗だったことから雪蹊寺は臨済宗なのだそうだ。
この雪蹊寺から種間寺に向かうとしばらくの間は新川川という川沿いを西へと進むがいつしか広々とした田園の中を進む。歩き遍路と車遍路では途中からコースが変わってくるが田園風景の中を進むことには変わらない。
この一帯まで来ると春野町に入る。春野町は平成大合併の頃に高知市に編入した町で、元は一つの独立した自治体だった。平成大合併では多くの町村が合併して姿を消していったがその大半は対等合併だったのに対し春野町は合併協議の時から高知市の一部になる事を前提に話が進んだ珍しいケースでもある。
札所三十四番種間寺はこの春野町役場から比較的近くにある■
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