お遍路ウォーキング日記(221:七十一番弥谷寺へ ②)
【2024年8月13日(火曜日) Day 221】
昨日に引き続き体調不良のためにウォーキングも制限している。それでもこの歩数が出せるのだから入院中の恩恵と思わねばならない。入院していなければ外を歩くしかなくそうなった場合はこんなには歩けないからだ。
今日は三豊から鳥坂峠に向かう道を進んでいる。写真を見てもわかるようにいつの間にか讃岐富士(飯野山)が見えている。讃岐富士が見え始めると札所も残りはあと僅かと言った感じだ。
実際は讃岐富士が見えなくなってから高松の街に入るのでまだまだ終わりが目前に来ているわけではない。
今日は昨日打った札所、本山寺について簡単に書こうと思う。
この寺は平城天皇の勅命により弘法が建立させた。建立の際には本堂が一夜で造られたという伝説がある。
さらに長宗我部元親による天正の兵火の際には当時の住職が斬られた時に脇侍の阿弥陀如来像が血を流したという話から兵火を逃れたという逸話も残っている。その頃から本山寺という名前になり、それ以前は弘法が命名した長福寺という名前だったという。
本堂は現存しており国宝だ。四国札所での国宝は思ったほど多くはないが、この本堂だけは当然だよなと思うほどの重厚感がある。
また本堂隣には五重塔があり、最近改修が終わったばかりである。五重塔がある札所も思いのほか少なく、三十一番竹林寺以外はすべて讃岐にある。
さらにこの寺のご本尊は馬頭観世音菩薩でこれもここだけ。境内には二頭の馬のモニュメントがあり、バイクで遍路をしていた頃はどういうわけか感極まることが多かった。バイクもある意味鉄の馬。この感覚ばかりはバイクで遍路をした者にしかわからない感動だ。
また馬の繋がりから家畜やペットのお守りとしても近年参拝する人が増えているという。もちろんわんこを境内に連れて来ても大丈夫。
次の札所は七十一番弥谷寺。四国札所屈指の階段地獄(どうしたってそう言いたくなる)である■