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お遍路ウォーキング日記(242:八十番讃岐国分寺へ)

【2024年9月3日(火曜日) Day 242】

 やっと今日札所七十九番天皇寺を打つことができた。今日は朝から涼しく久しぶりに短縮していないウォーキングルートを歩くことができた為に歩数もいつもよりは多い。

 札所七十九番天皇寺について今日は簡単に書こうと思う。

 この寺の起こりはこの地を金山かなやまと名付けて薬師如来を本尊に金山摩尼珠院かなやままにじゅいんという寺院を建立させたところから始まる。金山という名前はカナヤマビメとカナヤマビコの二人の神様のこと。

 神様がいる場所にその名をつけて寺を建立させるというのが現代の神仏分離の考えから見ても変な話なのだが、行基菩薩は始めから神仏習合の寺を作るのが目的であったらしい。

 のちに弘法がすでに荒れていたこの金山摩尼珠院を現在の天皇寺のある場所に移し、この地に金山権現を体得し、霊水を見つけたことから十一面観世音、阿弥陀如来、愛染明王の三体のご神体を彫って堂宇に安置した。

 後にこの地に流された崇徳すとく天皇は弘法の残したこの像を見てこの寺を自らの永代別当寺とし、崩御の後に崇徳天皇は白峯山に移されて荼毘に伏せられる。そして崩御の地である場所に崇徳天皇廟が建てられ、摩尼珠院はその別当職に任じられ、崇徳天皇の永代供養寺の役割を受ける。そしてこの頃からこの地は天皇ゆかりの場ということで天皇さんと呼ばれるようになった。

 明治の神仏分離令により崇徳天皇宮と摩尼珠院は法的に分離させられ、摩尼珠院は廃寺にさせられる。廃寺に伴い札所は2キロほど北にあった仏乗寺光照院という寺が引き受け、それから20年後に光照院は摩尼珠院のある場所に移転して光照院天皇寺となり現在に至る。

 実はこれまではこの札所のことを天皇寺としか呼んでいなかったが、他の寺と違ってこの札所は院号を一般的に用いる。なので一般的にも「光照院天皇寺」で通っている。

 ところでこの寺の起こりに登場する霊泉の事だが、この地を八十場と呼ぶ事とかつては耶蘇の地だったと言う言い伝えに繋がりがあるらしい。

 「水曜どうでしょう」では怪奇現象が起こった寺として変な扱いを受けているが、もう少し寺の歴史を学んだ上で取り上げてもらいたかった。

 この寺は今でも白峯宮と一体になっていて、山門も鳥居である。見た目には神社に敷地の大半を占められているような印象も受ける。

 納経所の人がとても親切で周辺の場所の事や天気について詳しく教えてくれた。それだけでも印象が良い寺である。

 今の寺伝でもわかるかもしれないが、次の八十番は国分寺、八十一番は白峯寺だ。このお寺もまた崇徳天皇との繋がりがある。またこの寺を打った時に書いてみようと思う■

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