続・お遍路ウォーキング日記(61:二十四番最御崎寺へ 其の八)
【2024/12/08(日)Day 61】
今日はずいぶん歩いたため、宍喰どころか県境を越えて高知県に入り、さらに目標としていた甲浦《かんのうら》さえ通過してその先の生見と言う集落の手前まで来ている。
現在地は高知県東洋町。この東洋町は昭和大合併の際に甲浦町と南部の野根町が合併してできた。県境すぐで阿佐東線の終点の駅もある甲浦地区、南部にある野根地区、そしてその中間よりやや甲浦寄りにある生見地区の三つが主な集落と覚えておけば良いかと思う。
まずは県境を超えて高知県に入ったので四国八十八ヶ所巡礼での高知県について簡単に書くが、高知県(土佐国)の特徴は札所の間の距離が離れていること、四国の中では最も広いことなどが挙げられる。白地図などで四国の中の高知県を意識して見るとすぐにわかる。四国の下半分は高知県だ。
札所は少なく、道のりは長いために昔から土佐国は「修行の道場」と呼ばれていた。阿波国が以前にも書いたと思うが「発心の道場」と呼ばれるのなら土佐はまさに「修行」の名が相応しいと言える。
そもそも土佐に入ったからといって最初の札所二十四番最御崎寺まではまだまだ乱暴に計算しても40キロ近くある。土佐が修行の道場と呼ばれるのは、これを見ても納得がいくのではないだろうか。
今日で徳島県が終わり、高知県に入る。しばらくの間は太平洋の美しい風景を左にして次の札所を目指すこととなる■