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序章 待てなかったMRI

 8月14日。整形外科の提案でMRI検査を医療センターで受けた。しかしその時整形外科はお盆休み。休みが明けてから連絡すると一週間ほど待ってもらうというつれない返事だった。

 今振り返るとこの一週間が一番恐ろしい。腰の痛みとその周辺の部分の痛みはますます激しくなり、いよいよ楽になれる姿勢はなくなってきた。腰は温めればほんの少しだけ楽になるので早朝に風呂に入り、鎮静剤を貼ってマッサージ機を当てながらじっと座っているよりほかない。横になってしまったら起き上がるのにまた苦痛を伴う。こうして朝が来たって待っているものは痛み止めの薬を飲む時間だけである。ときどき座ったままうとうとする事があるが眠れるというほどの物ではなかった。しかしそれこそが自分に与えられた睡眠でもあった。

 よくこんな苦痛の日々に耐えながら整形外科に行く日を待っていたものである。そこで全ての原因が明らかになり、適切な診療が受けられることを期待していたのだ。

 しかし次に来た試練は便秘だった。いよいよ腰痛が激しくなり便が出せなくなって来ていた。そして整形外科に行く予定の当日早朝、あまりに変わり果てた自分の現状を客観的に見て救急でもう一度診察を受けようと決め、妻に頼んで救急車を呼んでもらった。この時は何とか手すり伝いに4階から降りる事はできた。

 病院は救急車が手配することになっていた。当初は横浜医療センター以外の病院を希望したのだが結局は医療センターへと運ばれる。ストレッチャーに乗せられるともうその後は歩くこともままならない。緊急でCTとMRIを撮り、そこでようやく原因が突き止められた。それはおそらく街の整形外科に任せていたのではわからなかったのではないかと思う。というのも一週間前に撮ったMRIと今回のものを比較してようやく見つかったものだった。

 腰椎の内側に壊死のような穴があり、おそらくは化膿か何かでここが壊れているとのことだった。カリエスの疑いがあると聞こえてきたのでああ内臓由来じゃなくて骨そのものだったんだなとその時わかった。痛みに苦しんでいる時、人は聴覚が一番鋭くなる。聞いていないようでも耳に入ってくる情報は他の情報よりも伝わってくるのだ。カリエス=骨の病気と言うことだけは知っていた。しかし未だ自分の病気についてはそのカリエスなのかどうかはその時はわからなかった。

 とにかく腰椎が感染症で脆くなっているので原因菌を培養特定し、その間はかなり汎用性の高い抗生剤を投与する事となった。原因菌が結核菌ならカリエスだし、それ以外の菌だったら化膿性脊椎炎である。入院が必要で手術も含めざっと見積もった期日は6週間。普通はそんな事聞かされれば、ましてや手術もするという事であったら目の前真っ暗になるところだが、これまで一ヶ月近く原因もわからないぎっくり腰に苦しんだのだからホッとしたのが正直なところである。それと同時にこんな病気を見事に見抜いた医療センターの救急スタッフには尊敬以外の言葉が見つからない。こうして長きに渡る入院生活が始まる。病名は化膿性脊椎炎とそれによる腰椎の壊死だった■

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