療養日記 2022年1月30日 『鎮守』
ここ数日クラハを始めて1年になるという人がアイコンの横に風船バッジをつけて登場している。いうなればクラハ誕生日というのだろう。僕は2月5日に風船がつくことになる。しかしよく1年続けていたなと思う。とうにやめちゃっても当たり前と思うような目にも遭っているし、一生不覚と断言できるような人との関わりもあった。言ってしまえば自分の人生の中では恥としか言い様のない輩との出会いだ。こんな仕打ちにも遭いながらよくもまあこんなクラハなんて続けていたもんだと呆れかえる。
それはそんな悪い出会い以上に良い繋がり、関わりができたこと。大切な友人がこの1年の間に数多くできたこと。それがあったから今でもクラハを続けられている。僕の周囲でも大勢クラハをやめた者は居たが、だいたい共通して言えることは自分の時間を費やしてまで維持できる繋がりが見つけられなかった人がクラハから離れている。
それはごく当然のことでもある。クラハがつまらなくてやめていった人を責めることはできない。それだけクラハには自分の時間を費やしてまで続ける意味のない場所と感じられる要素があるからだと思う。それを考えると自分はなんて運が良かったのだろうと思う。もう一つにはやはり人間としてどうなのという意識の高いものがクラハそのものをつまらなくしていたことは明白で、賢い人はそんな輩とは関わり合いたくないだろうからクラハをやめるという選択肢を選んだのだ思えばそれは非常に賢明な事だとも思う。やめていった者を批判する事くらい筋違いで外道な事はないだろう。
今日は昼前くらいからわんこの散歩に出かけることになっていたが、ここに来て妻がいつもあんたの散歩コースばかり歩かされて退屈だしマクドでいらない買物ばかりしてしまうからたまにはもっと他の場所を散歩しなさいよこのダメ人間とは違う場所を散歩したいと言い出したのでそれに付き合うことにした。
我が家の近くには深い谷があり、そちら方面も以前は散歩でよく歩いていた。ところが療養中の今、急な下り坂を下りるのももちろん上るのもかなり大変で避けていた。妻もその理由を知っていたのに今日はだいぶ我儘にそっちの方面へ行くと言い出したのだ。
深い谷のある一帯は昔から深谷町と呼ばれ(冗談ではなく本当に)、我が家の住所も表記変更前は深谷町に属していたが、20年位前の表記変更で隣町に移ることとなった。住所表記変更以降かつての隣町の氏神に正月は初詣に行くことにしていたが、それ以前の深谷町にも氏神がいて今日はそちらの方へ行ってみた。
実は深谷町はまだ農家が多く、無人販売所もいくつかあるので今日はそれも目的の一つであった。というのも新鮮な野菜が格安で手に入る。やっぱりスーパーよりもいい野菜が手に入る。
ということで地元の野菜即売所にて
今日はほうれん草が欲しかったがすでに売り切れていて白菜を買う。見たところ今のおすすめはお大根だとおもう。次はお大根でイカ大根か豚バラ大根あたり作りたくなってきた。
この深谷には専念寺という浄土宗のお寺があり、以前より本堂が薬師如来という事は聞いていたので気にはなっていたが、今日は思い切って行ってみた。普通の街のお寺でもちろんおみくじやお守りがあるわけでもない。お経と薬師如来の真言を唱えて来た。
深谷山専念寺
この専念寺のすぐ横には三嶋神社という神社がある。この一帯は竹林をはじめとした雑木林が生い茂っていて三嶋神社はその中にある。まさに鎮守の森の中だ。
三嶋神社
自分が住んでいる横浜市戸塚区はまだまだ横浜なんて名前はついていてもイナカで、各町にはそれぞれに氏神様がいて、鎮守の森も守られているところが多い。かつては日本中の町、村という場所にはひとつ氏神様がいらしたが今となっては都会になればなるほど町名の住所表記は変更され大字、小字は次第に廃止されどこでも○○丁目という簡単な表記に変わっていった。そしてそれに応じて集落の鎮守も合祀されたりして失せてしまうようになった。鎮守の森というものがまだ存在しているだけ我が家は都市化からは取り残されている。そのくせ5Gアンテナは設置が早かったと見てauに限っていえば年末前位から5Gエリアになっている。
今の我が家の住所の氏神は浅間神社、今日訪れた深谷町の氏神は三嶋神社。どちらもそれなりに知られた神社の分社であろうものだとは思えるが、そういう氏神というものの存在がまだリアルに自分の身近にあることが恵まれていることなのかも知れない。これからもわんこの散歩などで近場を歩くときはこの二つ鎮守の森にも立ち寄りたいなと思った。
帰ってきてからしばらく休んでいる間にだんだんと眠たくなってそのまま寝てしまった。さすがに朝までクラハで話をしていたので今日は基本的には睡眠不足だった。夕飯はお鍋、お鍋は飽きないねぇ■