優しいねって、言われる度に安心してた
あなたは優しいね。
よく言われる言葉です。
私って、優しいんだ。
幼い頃はただ嬉しくて、優しい私を誇らしく思っていました。
でも、いつからかその言葉は私の言動を左右するほどの影響力を持ち始めました。
優しいね、そう言われる度に安心していました。
ああ、今の選択は正解だったんだ、と思わせてくれるからでした。
外側から作られたその輪郭が、私の形を保ってくれていたから、それが私のアイデンティティになっていたから。
でも、私は分かっていました。
あの言葉をかけたのは、嫌われたくないから。
あの行動を取ったのは、認められたいから。
無意識の中にある、打算的な私の存在に気づいていました。
それが全部悪いとは思っていませんが、私が良くなかったのは、その評価だけが私の全てになっていたからです。
自分を削っていく方法しか、当時は知りませんでした。
他人軸でしか自分を見ることが出来ませんでした。
歳を重ねるにつれ、様々な人と出会い、交流していく中で、人からの評価に存在意義の全てを置いていた私は、どんどん追い詰められていくようで苦しくなってしまいました。
苦しさを感じるようになってからも、その言葉がくれる一時の安心感を手離す勇気はなく、私は縋っていました。
そんなある日、とても魅力的な方に出会いました。
その方は、嫌な物は嫌、と自分の意見をはっきりと伝えられる方でした。
キツい言葉を使うこともあるのに、なぜか嫌な気分にはならなくて、飲み会なんてある日には、中心で笑いを作ってしまうようなそんな存在でした。
自分にはないものばかりで一瞬で虜になった私はひたすらついて歩きました。
少しずつ仲良くなり、二人で話す機会が増えるにつれて、その方の知識の多さ、繊細な気遣いに脱帽しました。
この方の魅力については、語り出したら止まらないので機会があればまた綴ろうかなと思います。
幸いにも目をかけてもらえるようになった私は少しでもこの方に近づきたいという一心で、しっかりと自分との違いを考えるようになりました。
そのおかげで、自分軸という新しい意識が生まれました。
それから初めて、苦手な人がいる集まりのお誘いを予定もないのに断りました。
オッケー、また誘うね!
震えながら、勇気を振り絞って断った私に返ってきたのはそんなあっさりとしたものでした。
あれ、こんなのでいいの?
ガクッと力が抜けたのを覚えています。
今までやってきたことは何だったのだろう。
私は何に怯えていたんだろう。
私が優しさだと思っていたのは何だったのだろう。
気づけて良かった、私は変わりたい。
自分と向き合い、自分の声を聞く時間が増えました。
認めたくない弱い部分も多々ありますが、それも含めて私なのだと、自分を自覚できるようになった気がします。
まだまだ練習中ではありますが、今ではずっと楽に呼吸ができます。
少しずつでも、相手のためを思った本当に優しい人になれるように。
私は別に、みんなに優しくなくていい。
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