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「元気の素」池波正太郎の〔食〕のエッセイ

元気の素となるもの。人それぞれ色々あると思いますが、ボクにとってのそれは、名だたる文士による食物のことを書いたエッセイを読むことです。

どうもここ数ヶ月、職場での人間関係のゴタゴタが続き正直何もかもイヤになっていて、出勤するにも気が重く、休日も職場から開放された安心感に浸って、ただダラダラ過ごすだけという怠惰な日々が続いております。その状態が特に酷いときは、出かける前や休憩中などの僅かな時間を食のエッセイを読むことで、元気を出す活力源にしてなんとか乗り切っている感じです。
 なかでも池波正太郎さんの書くものは、特に効きますね。『食卓の情景』『散歩のとき何か食べたくなって』。また食物に限って書かれたものではないのですが『池波正太郎の銀座日記』なんかもいいですね。各県、各地方の行きつけのお店が多数紹介され、そういった点ではグルメ本としても楽しめますが勿論それだけではありません。少年時代、株屋時代、新国劇時代と池波さんの辿ってきた人生の中で
味わってきた食物についての思いを読むことで、食を楽しむということが、生き方のスタイル、姿勢と大きく関わるものだということを思い知らされるような気持ちになってきます。だから読んでいて楽しく、生きることへの意欲も自然と湧いてきます。

その他にも檀一雄さんの『檀流クッキング』阿川弘之さんの『食味風々録』開高健さんの『最後の晩餐』色川武大さんの『喰いたい放題』など、文豪先生方の楽しい食のエッセイは沢山あり、何れもボクの元気の素となっております

ついこの間、また重い憂鬱がやってきました。出勤前の少しの時間を丸谷才一さんの『食通知ったかぶり』を引っ張り出し読むことにしました。さてどの章にしようか、とペラペラめくりながらさぐっていると、こんな一文が目に付いたのです。「伊賀の上野へゆかうと思ひ立ったのは池波正太郎さんのせいである。〜」丸谷さん、『食卓の情景』の伊賀上野の牛肉屋〔金谷〕のくだりに興奮して、ここの牛肉を食べようと伊賀行を決意します。池波さんのエッセイは同年代の作家たちにもファンが多く、遠藤周作さんも自著で食のエッセイを絶賛していたし、吉行淳之介さんも池波さんの銀座日記を愛読していることを自著で述べていました。

池波正太郎さんの愛したお店は、ボクも何軒か行かしてもらっていますが、東京出張で行った有楽町の〔慶楽〕で豚肉とモヤシのヤキソバを頼んだとき何種かの調味料の小皿の使い方に戸惑っていたら、店員さんがそれに気づいてアドバイスしてくれれました。最後に「池波正太郎さんはそういう風に食べてました」という一言があり、ちょっぴり興奮したことがあります。また下北沢に観劇に行った際には帰りに〔アンゼリカ〕でカレーパンを購入し、新幹線の中でビールと一緒に味わうことが観劇の後の至福のひとときでした。信州別所温泉の北向観音での厄除け祈願の帰り、上田の〔刀屋〕に寄り、案内された小上がりの席の壁に掛かっていたのが池波正太郎さんによる色紙で「ああいい厄除け祈願になった」と自己満足に浸ったりもしましたね。

 いつかこの伊賀牛を味わえる日が来ると信じて、さあ、今このときを乗り切ろう。明日も頑張って乗り切ろう。

また少し元気が出てきた感じです。






 
 

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