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母の在宅介護Part①アルツハイマー&レビー型認知症

母の認知症にハッキリと気がついたのは
やっとのこと年末の大仕事を終え
夜、実家に寄った時のこと。

正月のお節料理を実家宛に注文していたので
母に「今日、届いてる?」と聞いたところ
「何も届いて無いわよ〜」と。
夕方から夜にかけての配送にしたので
これから届くのかな?と思っていたが
待てど暮らせど何も届かず。
問い合わせてみると「夕方伺って、お婆さんがお庭に出られていたので
お渡ししましたよ」とのこと。
家中を探して、母の寝室の押入れの中の引き出しの中にお節料理を発見。
「あらやだ!そういえば誰か来てもらったかも♪誰だったかしら?」

あー。。ついにこの日がやってきたか。。。。仕事を言い訳にして、注意が足りなかったことを本当に後悔した。

この数年、明らかにおかしくなっていることを突き詰めないで
先延ばしにしていたのだ。
仕事もレギュラーの動きだけでなく、イレギュラーな仕事も取ってきていたので
「ちょっと不味いかも。。。」と気にはしていたが
動ける状況では無かった。

冷蔵の中には賞味期限切れの食材が溜まっていき、
冷凍庫もパンパンなのに
次々、新しく食材を買ってきては押し込み腐らせ
捨てようとすると「大事なものだから捨てないで!」と怒ったり
「預金が盗まれた!」と言って親戚中に連絡したり
現金を家の中のどこに隠したのか大騒ぎしたり
一軒家の中は私からみたら【ゴミ】だが、母に取っては大事な物が
押入れだけでなく部屋全体に積まれていき。
病院の診察カードは仕舞い込んで分からなくなり
通院するたびに再発行をしたようで、いたるところから見つかった。
(お金や通帳、病院のカードは大事なものだから、盗まれないように
色々なところに隠して分からなくなってしまうようだ)
また一人で風呂に入れなくなってきていたようで
悪臭もしだして「どうにかしなければ。。。。」と思いながら
年月が経っていったのた。

母は70後半くらいから年一回脳のMRIを撮っていた。
数年前に「そういえば今年の検査で、ちょっとボケちゃう予兆があるって
お医者さんが言ってたわよ。
娘さんに話してねーって。そろそろ私もボケちゃうかも♪
なんていうやりとりがあったことを思いだした。

年末の騒動【お節料理騒動】を受けて
年明け、すっかりご無沙汰してしまった地域の高齢者相談センターに相談。
父が他界してから10年ほど連絡を取っていなかったが
当時の担当者に相談。
改めて認知の診断も含め近所のクリニックにも受診をし
医師からも「アルツハイマー型の認知症」診断を受け
地域の介護認定の面談も申し込んだ。

【デイサービスなんて行きたくない!!ひとりで大丈夫!】と
頑なに言っていたので
父が他界してからは積極的に申し込まず
先方からも連絡が来なくなっていたので数年ぶりだった。

結果は【要介護2】
『え!?こんな状況で要介護2??』
明らかに10年前より介護認定の判断は厳しくなっていると感じた。
それだけ介護を必要とする人が多いのだろう。
他人の前ではしっかり対応する老人あるあるで
いつもの母の状態を見てもらえないのもあった。

私は仕事を調整して、通院の日は必ず付き添いをし
毎日、会社に行く前には実家に寄って様子を見た。
デイサービスのお迎えに立ち会えれば見送りもした。
夜中まで会議などで仕事が終わらず
途中、抜け出して弁当などを届けて会社に戻る生活が続いた。

母の行動をできるだけ制限し、問題が起こらないよう強く注意した。
一人で病院に行ってはいけない。お金も隠してしまうのでできるだけ持たせない。
料理も覚束ない手元でガスを使っての調理は、以前から不安で
『火事になったら大変だから』とできるだけしないようキツく話した。

介護認定をしてもらったことでケアマネも付き
ヘルパーさんや看護師の方の協力体制も調整。
散々「行きたくない!!」と嫌がったがデイサービスにもどうにか宥めて
行き始めた。
お風呂もデイサービスで入れてもらい、私的には大分ほっとしたが
母自身は自分の自由を制限されて管理されていることが
相当ストレスになったようで、だんだんと暴れるようになっていった。
人格が変わるほどの凶暴さだった。

同居の叔母(父の妹)の女中のような生活を何十年と強いられて
やっとのと手に入れたこの約10年間の生活は、
父も他界しひとりぼっちの寂しさもありながら
全てから解放された気分だったのだろう。
それを私が「あれもやっちゃだめダメ!これもダメ」と規制をしたことで
全てを否定された気持ちになってしまったようだった。
 
ハサミを持ち出し「そんなに私が生きているのが迷惑なら死んでやる!!」と暴れる日々が続いた。
ハサミを持って向かってくる母は、その小さな華奢な身体から
想像できないくらいの力で私に襲い掛かったり
自分の喉にハサミを突き刺そうとした。
私も精神的に疲弊していき、食事も取る気力が無くなり
おかしくなっていった。
母も精神的に追い詰められていき
朝6時くらいから夜中に寝るまで、何十回も電話をしてきた。
個人携帯と万が一連絡が付かないといけないと会社携帯も教えていたので
仕事中でもお構いない無しに毎日何度も「死んでやるからね!」と繰り返しかけてきた。

仕事上、定時では終わらないし休日も会議や現場などがあり
ケアマネ含めて在宅介護のスタッフに頼らざるを得ない。
それでも夜は一人きりになるし、要介護2では一日の全てを誰かが付いていることはできない。
ケアマネに刃物を持ち出す状況を相談しても
老人あるあるで、他人に対してはとても穏やかなお婆さんで
私だけ大袈裟に騒いでいると思ったようで
最初は全く聞き入れてもらえなかった。

たまに早く実家に寄れた時など、デイサービスから帰宅したままだったか
夜9時過ぎの電気も付けず真っ暗なまま着替えもせず
一点を見つめて座っていたり
いつからそうしていたのか、玄関に座っていたり
明らかにおかしくなっていった。

私自身が完全に介護鬱状態になっていったが
頼れるひとはケアマネ以外にいないので
どうにか現状を理解してもらえるよう何度も説明し
ハサミを持って騒いでいる時に携帯をスピーカーにして電話したり
狂ったように叫びながら電話を掛けてきた直後に
どうにか母の様子を見に行ってもらえないか電話して
やっとのこと状況を理解してもらい
母の在宅介護に関わるスタッフ会議に私も参加させてもらって
説明をした。

母を追い詰めたのは間違いなく私だった。
私も仕事で追い詰められ、思ったように母のケアができないことと
母の凶暴さに疲弊しておかしくなっていた。
ケアマネが理解して状況を他のスタッフが把握してくれたことで
ずいぶんと救われた。


担当の医師からは「アルツハイマー型だけでなく、前頭葉にも問題がある
レビー型の認知症でもあるかな」と言われた。

partパート⓶へ続く











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