孤独と傷、そして16歳の決意
高校をやめてからのお話ー限界を迎える
高校を辞めたあの時、私は完全に自分を見失っていました。この頃の記憶はほどんどありません。毎日、映画とテレビを見ていたような….くらいです。
周りには何も言えず、誰にも頼れないままで、心の中は真っ暗でした。家に引きこもり、深い孤独の中で過ごし、何しても楽にはならずただただ時間が通り過ぎていく日々でした。
そんな中で手を伸ばしたのが”タバコ”でした。両親がタバコを吸い、お酒を飲んでいるのを見て育った私にとって、これはどこか自然だったことなのかもしれません。少しは「楽になれる」という気がしたんでしょう。
ひきこもりが生んだ孤立ーー友達もいなくなった
そもそも、相談するような友達がいなかった….
実を言うと、私が”友達”と呼んでいた人たちは、ただ一緒にワイワイする仲でした。悩みを打ち明けるような深い付き合いではなかったのです。「相談」どころか連絡すら取らなくなってしまいました。
楽しい時間を一緒に過ごすだけの関係だったからこそ、学校へ行かなくなった途端に距離が開いてしまったのだと思います。そうして、誰にも頼れないまま孤立し、「ひとりきり」の日常へと沈み込んでいったのです。
人間関係がわからないーーいまだに感じる難しさ
あの頃からの延長線上で、私は今でも「どうやって友達を作るばいいのか」がよくわかりません。親密な関係を築く方法が全くイメージできず、人間関係そのものが怖いと感じてしまいます。仲良くなれそうな人が現れても、どこかで自分にブレーキをかけてしまう自分もいました。
最近になって、「もしかして、これって幼い頃の経験が関係しているのかな」とも思うようになりました。誰かに甘えることも頼ることも少なかったあの頃。誰かと深くつながる方法を学ばない大人になったことで、今も迷い続けているのかもしれません。
そして、この文章を書きながら改めて感じました。幼少期や小学生の頃に社会性を学ぶことの大切さを。仲間と一緒に笑ったり、意見を言い合ったり、衝突して仲直りをしたりーーそういった経験は、子どもの頃に身につけるべき大事な力なんだと、今だからこそ気づけました。私はその部分をうまく学べなかったからこそ、手探りで人との関わり方を探しているのかもしれません。ですが、だからこそ少しずつでもその答えを見つけていけたらなと思います。
16歳、アルバイトを始める決意
16歳の私は、ふと「このままじゃダメだ」「このままだと終われない」という気持ちが湧き上がってきました。
「学校には戻れないけど、何かを始めなくちゃ」と思い、私はアルバイトを探し始めました。とにかく働いてみよう。そして少しでも自分を変えてみようと。そしてなぜか、その時真っ先に浮かんだのはコンビニで働くことでした。理由は自分でもわかりませんがそれしか頭になかったです。
面接でのひとことーー自分の声が嫌いになったきっかけ
初めて受けたコンビニの面接。緊張しながら受け答えをした私に、店長は私に冷たい顔でこう言いました。
「お前、そんな声で接客なんてできんの?」
その言葉は鋭い刃のように胸に突き刺さりました。私はその瞬間、体が固まり、何も言い返せませんでした。そしてそれ以来自分を否定されたようなきがして自分の声を聞くたびに嫌悪感を抱くようになったのです。
今でもあの店長の顔と、その一言が頭から離れません。たった一言で、こんなにも自分を否定されたように感じるなんてーーあの出来事は、私にとって忘れられない”声”の記憶となりました。
その日から私は自分の声を嫌い、「人前で話すのは怖い」と感じるようにもなりました。
言葉の重さに気づいた瞬間
けれど、「言葉が持つ力の大きさ」に気づいたのは、実は最近のことです。当時はただ傷つき、自分を責めるばかりでしたが、今となって振り返ると、あの一言でも人を簡単に傷つけ、無力感にさせてしまうことがあるーーその事実に、改めて驚かされました。
だからこそ今は、相手に伝える言葉にはできるだけ気を配りたいと思っています。(人間ですからやらかしてしまう時もあります。)誰かの心に響く言葉が”支え”になるのか”刃”になるのかーーそれを考えられるようになったのも、あの体験があったからだと思います。
この自己探究の旅が、私自身を癒すだけではなく、同じような経験をした誰かの心にそっと寄り添えるものになればーーそんな願いをこめて、この物語を綴り続けています。
読んでいただきありがとうございました。mahalo~