私の願いが「聴くおむすび」だったのね(聴くシリーズ⑥)
聴く人・ちいさんに、
「どうして、聴くおむすびを始めたの?」と問われて、
改めて、なんでだろう?と考えてみて出てきたのが2つ。
これまでおむすびを手渡していく中で、おむすびは自然と人の心をほぐし、おむすびを頬張りながらおしゃべりをすることで、さらに何かがほぐれているように感じていたので、「聴いてもらう=安心して話せる」にフォーカスした場があることで、さらに深くほぐれていくんじゃないかな?そういう時間を手渡せたらいいな、と思ったから。
自分の「聴く」の体験を増やしたいから。
「どうして、聴く体験を増やしたいの?
「どうして、聴きたいの?そうすると、どうなるの?」
ちいさんからの更なる問い。
うーん?どうしてだろう?
2つを合わせて考えを巡らせていくうちに、
「ああ、そうか!私は話を聴いて欲しいんだ、
私はずっと、誰かに話を聴いてほしかったんだ」と気づいたのです。
伝えたい欲の強い家族で聴き手不在の中で育ったからか、
「聴く」は知らない世界だったのだと思う。
あの安心であたたかな居場所。
目の前にいる人が、何の判断もなく、
ずっと、そのままを聴いてくれるという絶大な安心感。
私自身がそれを望んでいたから、それを手渡したいと思ったのね。
外で起こることは、私の内側の反映。
問われて出てきた、自分の願い。
自分が望んでいるものを望んでいる誰かと分かち合いたかったのか。
循環させたかったのか。
ああ、そうだったのね、私。
と抱き締めてあげたい気持ちになりました。
という訳で、(今のところ)毎月ではないけど、
満月から新月までの下弦期間の数日間、「聴くおむすびの時間」というものを開いています。月が欠けていく下弦期間は、内省と放出に適しているそうです。
おむすびと共に、目の前の人(私です)が、「話をずっと聴いているよ」という安心を手渡して、同時に、その人の自分の内側を聴くお手伝いになるといいな、と思っています。
うん?ちょっと気になるかも?
となった方は、ぜひ!
聴くスイッチ(と時に、問うスイッチ)を連打してお待ちしています♡
「聴くおむすびの時間」 詳細はこちら。
(おわり)