「聴く」をしているか?あるいは、「聴く」はされているか?(聴くシリーズ⑤)
では、ふだんの日常の中で(意図的に何かのスイッチを押していない状態の時)、
「自分自身は聴くをしているのか?誰かから聴くはされているのか?」
を改めて観察してみた。
聴くスイッチが標準装備されていない私の場合は、自然に任せていると、
「聴く」よりも「訊く(問う)」スイッチがon状態だと気づいた。
(新しいスイッチ!(笑)これについてはまたいつか)
ということは、ふだんの日常の中で、私自身は「聴く」をしている時間はそう多くはないように思う。
では、誰かから「聴く」はされているか?
自分が話し手であるとき、ふだんのおしゃべりの中では、時間が限られている時も多々あるし、自分ばかりずっと話すのもアレなので、あなたはどう?となるし、アドバイスや意見や解決方法の提案をされたり、言いたかった話を完了する前にちがう話になっていたりもするし、時には遮られたり。
目の前の人は〇〇しながら聞いているようで聞いていないような時もある。
私の話を「共感的に聴いてもらったな」という感覚になることって、
そう多くはない、というか、とても少ないように思った。
話し手に対して、共感・尊重・理解しようとする態度で「聴く」状態である場面はそう多くはないんだな、と気づいた。
それよりも「伝えたい!話したい!(=聴いてほしい!)」人の方が圧倒的に多いのね、と気づいた。
そうかそうか。
世の中全体で聴き手が不在なのかも知れない。
じゃあ、まずは、聴き手になろう。
聴き手がいれば、「聴く」をされた感覚になる人が生まれ、その人が「聴く」をすると、「聴く」は循環していくものね。
それにはまず、聴くスイッチを選択して押そう。そうすれば、私にも、目の前の人にあの安心であたたかな場所をいつでも手渡すことができるよね◎
(つづく)