四十肩で気づいた、「聴く」の願い
昨年の春くらいから、肩に違和感を覚え出し、いわゆる、四十肩的な症状で、信頼する整体の先生のところに通って調えていたものの、あまりに痛みが苛烈&長期間続くので、何か違う病気なのかしら?と不安がよぎり始めて、安心するためにも検査してみることに。
ふだん、あまり病院というところに馴染みがないので、まずは、整形外科(四十肩はこの管轄らしい)のリサーチ。今暮らしている街には、数多の病院があり、さて、どこに行けば良いのやら。家族や友人に聞いたり、ネット検索してみたり。口コミをある程度参考にしつつ、結局は相性なのだろうから、感覚で行ってみて体験してみるしかない。
いくつか口コミを見ていく中で、「親身で丁寧」「こちらの話を聞いてくれる先生」などと書かれていると「おや、良さそうかも?」と思い、「一方的な説明ばかり」など書かれていると、うーむ?となる。
そうやって探しているうちに、どうやら、私の中では「お医者さんとしての有能さ」よりも「親身に話を聴いてくれること」の方が優先順位が高い=大切みたい、ということに気づきました。
思えば、30代初めの頃。
酷いアトピー性皮膚炎が発症、夜も眠られない程に全身を掻きむしり、外出もままならない時期がありました。薬治療以外での改善を試みたくて、民間療法や東洋医学的なことをいろいろ試していたのだけど、悪化するスピードの方が速くて追いつかず、QOL(生活の質)が下がり過ぎたために、観念して、病院へ行くことに。
その時もいろいろ探して、なんとなく、「良さそうかも?」と思ったS皮膚科に行ってみると、心療内科的なアプローチでこちらの話を非常によく聴いてくれる先生でした。「患者さんの話を最低でも15分は聴く」と言うのが先生の信条だそう。
一般的な病院は「3分診療」と言われることもあるけど、次の患者さんも待ってるし、伝えたいことを手短に的確に話さなきゃ、みたいな気持ちになり、話す側もなんだか慌ててしまうので、それも病院から足が遠のく理由のひとつでした。
S皮膚科のS先生はとても人気らしく、遠方からの患者さんも多くて、おまけに電話診療もされていて、いつも3時間くらい待つのが常だったけれど、そんなことは全く苦にならず、その先生とおしゃべりしたくて、週に1度の病院通いがとても楽しみでした。
診察の時は、1週間のできごと(特に、どんな気分の時にどんな症状があったか?など)をおしゃべりしていくうちに、心がずいぶんと軽くなっていった記憶があります。楽しい病院通いを2ヶ月ほど続けたら、QOLは格段に上がり、目に見えて改善していき、通常の暮らしができるようになって行き、自然とアトピーは完治。それ以降も再発はしていません。
さて、話は戻り、整形外科。
なんとなく私的に良さそうかも?な病院を見つけ出し、行ってみると、きちんとお話を聴いてくれる先生で、「やっぱり、それだけで、安心の余白が生まれるなぁ」と思いました。(レントゲン検査の結果は、やっぱり、「四十肩でしょう」とのことで、違う病気ではなくてまずはひと安心。そのあと、整形外科での治療は選択しなかったのですが、詳しくは、「四十肩流浪の旅」シリーズ(笑)に書いています。気になる方はこちらへ↓)
聴く人、ちいさんに教えてもらった、くまのプーさんの言葉。
(正しくは、ティク・ナット・ハンの言葉なのかな?)
心がほぐれると、身体もほぐれていく。
心が空っぽになると、身体もずいぶんと軽くなる。
この回でも書いたのだけれど、
こういう日常の中にも、私の中に「聴いてもらいたい」の願いがあることに気づいて、そして、プーさんのような態度で「聴く」が出来るといいな、という願いがあることにも気づきました。「聴く」筋トレ、がんばります○
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