サティヤ〜感情を感じきる〜
今日は、前回の続きでありつつ、サティヤ(真実・正直であること)、感情を感じきることの大切さについて書いていきます。
前回のnoteはこちら
先に言っておくと、起きた出来事は問題ではなく、大切なのはその後の心や行動のコントロール。
あるお仕事の手伝いで、お世話になっている先生から声をかけていただいた。
その中で私はリラクゼーションの提供をすることになったのだけれど、声をかけてもらった当初とズレが生じ、その対価(施術代)をもらうことができなかった。
施術直前になって「サービスに含まれているから(料金は)とらない」と言われた私は、はじめ意味がわからず、頭に浮かんだのは「話が違う」だった。
しかし、つっこむことはできず、とりあえず全員分の施術を行った。
施術は皆喜んでくれて嬉しかったけど、普段仕事として提供しているサービスがなぜ無料提供になったのか、能登でボランティアしたからこれもボランティアでいいと思われたのか?とその期間中、むしろ期間が終了してもモヤモヤは消えなかった。
そして家に帰ってから、ゆっくりと日々のヨガの練習を続けていた。
そしたらある朝の練習中に、涙がボロボロ流れてきて、その涙と一緒に「悲しい」が出てきた。
モヤモヤに覆われていた「悲しい」が外へ出てきてくれた瞬間、「悲しかったんだ」とわかり、涙が流れたその瞬間に私はもうスッキリしていた。
浄化の涙だった。
よく「感情は押し殺さず、感じきることが大事」というが(自分でも言っていたが笑)、その大切さを今までよりさらに腹落ちするように理解した瞬間だった。
私は、悲しかったのだ。
話が違ったからではない。
搾取されたかもしれなかったからでもない。
私は、自分の技術に1円の価値もつかなかったことが、ただ悲しかっただけなのだ。
「そっか、悲しかったのか。悲しかったんだね。」
自分の気持ちがはっきりわかったことで、心にあったモヤモヤという氷山のようなものが自分に気付いてもらえた温かさで溶けていく。
何枚も重ねたヴェールがはがれて、光が差した、そんな感覚。
モヤモヤや感情の理由を相手に委ねているうちは、自分の本当の気持ちは見えてこない。
落ち着いたニュートラルな心の状態で意識の矢印が自分へ向けられたとき、やっと本心がわかる。
その心の状態にするには、やはり練習が必要なのだ。
「普通はこうだ(今回なら、お金もらうでしょ)」とか「これだけやってるのに」とか「こうしてくれると思った」みたいな感情は相手を責める気持ちであって、そのまま伝えようとすると、自分にとっての正論を相手に押し付けてしまうことになる。
それだけでなく、モヤモヤした感情が心を支配している間に相手に伝えると「ぶつける」状態になってしまうから、そうなるとそれはそのまま自分へ返ってくるし、本当に大切なことが届かなくなってしまう。
むしろ、きっとその段階ではまだ自分自身でも問題の本当の核の部分には気づけていない。
そのことになんとなく気付いていたから、私は自分の本心が見えてくるまで待ち、そして本心が見えて心が晴れ渡った後に、相手に伝えることにした。
伝えないという選択もできたが、今回は伝えるまでを練習にした。
さっきも言った通り、感情が乗っかっているうちは、自分が受けたダメージを相手にも与えようとしたり、自分の思う通りにしようと相手をコントロールしようとしてしまうことがある。
これは、意識的にそうしようとする人もいるだろうけど、誰でも無意識的に数%は入ってしまうことだと思う。
相手にダメージを与えようとすると、自分がさらにダメージを負うし、相手をコントロールしようとすると、コントロールできないことに余計イライラするだろう。
正直なところ、感情が乗っている状態でも文字に起こしてみていたのだけど、やはり攻撃的な言葉になってしまっている気がして、伝えられなかった。
でも、感情を感じきって、自分が「悲しかった」のだとわかってスッキリしていたので、その後は思いを言葉にするのは難しくなかった。
伝えてみると、今回のことはお互いの認識や感覚のズレでしかなかったことがわかり、相手のことを考えた(自分本意でない)言葉によるコミュニケーションや契約面の大切さも知ることができた。
感情はもう消えて無くなっていたので、相手からの言葉も思いもすべてを真っ直ぐ受け入れることができる。
モヤモヤも晴れて今回の仕事はこの出来事も含め楽しい思い出に変わっていった。
そして、こちらから望まずとも私の技術には価値がつけられた。(送金してくれた)
きっとエゴによって求めているうちは違う答えがやってきただろう。
エゴを手放し、ただ自分の練習をしたことで、結果この身体ですべき経験や答えを与えられたのだと思う。
サティヤを完全に成すことは大変なことだ。
正直であること、真実のみを話すこと、嘘をつかないこと。
その前提にはアヒムサ(非暴力)がある。
自分も相手も傷付けずに、正直を貫く方法を見つけなければならない。
自分の感情を感じきり、自分に正直に、フラットな穏やかな心で真実を伝える。
伝えなくてもいい、伝えないという選択をする真実もある。
どちらにせよ、練習が必要で、やってきた苦しみもすべて練習だと思えば、苦しみは苦しみではなくなるのだろう。
だから、苦しみでなくなる時まで練習を続けるしかない。
そこに一番早く辿り着く方法は、今すぐに始めることだ。
近道はない。でも、ゴールだけを真っ直ぐに見て突き進める者は早くゴールに辿り着ける。と、ヨーガスートラ1-22にも記されている。