自由とは、あらゆるストレスから解放された状態だ。 仕事によるストレス、人間関係によるストレス、アレルギーのストレス、色や音、食べ物、空気、感覚器官によって得るストレス等、ストレスも様々だ。 時間、過去や未来、思考、この一切のストレスから解放されること。 それが自由だ。 久しぶりに時間から解放されて、朝から快便で、アレルギー症状もなく、鼻もよく通る。 軽くアーサナをして、座った。 マントラチャンティング後にはもう自然にクンバカが起きていた。 プラーナーヤーマのセット間、何
好きな音。 きっと深いところで 好きなんだろうな って人たちの声。 恋愛とか友情とかとまたちょっと違う 尊敬だったり愛おしさだったり 烏滸がましいけど、同志と感じる人たち。 一生懸命でありながら 軽くて高い 心が洗われるような そんな表現をしている人たちの声。 久しぶりに聴いたその声たちは 私になぜか とっても優しくあたたかい。 それ自体が光のしずくになって 心全体に、溶け込むように沁み渡っていく その一滴でコップの中の水が浄化されるような そんな光。 その人たち
俳優の西田敏行さんが亡くなった。 ドラマや映画でたくさん見た俳優さんであり、出てるとその話が面白い、と感じる俳優さんだった。 たくさん病気をされたようだったけど、それでも演技をし続けている姿は一視聴者から見ても素敵だったし、最期は苦しまずに逝かれたのかなと思うと、勝手ながら流石だなと感じてしまう。 死生観については以下の記事でちょろっと触れているのだけど 1ヶ月程前に不思議な夢を見て、目が覚めてからもあまりに強く覚えていたため、メモ書きに残していたものがある。 すぐに投
あるものに目を向けてください。 あれがない、これがない できない、ダメだ そればっかだと、不幸になってしまう。 あれがあれば こうなれたら あの人がこうしてくれたら では、幸せが自分の外側任せ 未来任せ 他力本願になってしまう。 自分さえもコントロールできないのだから 他者をコントロールなんてできないもの。 ないないばかりの不満過多さんは 幸せのハードルが高すぎるかもしれない。 完璧主義の人もそう。 人によって完璧の定義も違うんだから 他人が作った完璧はもちろん、
今朝の呼吸法(プラーナーヤーマ)中に感じたこと。 呼吸は生きている。 息をしている=生きている という話ではなくて。 呼吸そのものが生命体のような、そんな感覚。 ヨーガでいうところのプラーナ。 それは生命エネルギーであり、呼吸や食事によって私たちは体内に取り込んでいるのだけど。 生命エネルギーだから、生命だよね。 生命とは、私たちが生きて活動するための、根源の力。 根源の力であるそれは、私たちを生かしてくれているものであり、そしてそのもの自体が生きているのだ。 と
今、インドに来ている。 私が滞在しているゲストハウス近くには、鶏屋が2軒程あるのだけど、 今日初めて鶏が絞められる、というよりは、殴り殺される、という衝撃を目の当たりにした。 今、この言葉をこうして書きながらもショックが蘇ってくる。 12年前初めてインドに来た時、これに似た状況を見て、私はお肉全般食べれなくなった。 (数年間ベジタリアンだったけれど、今は魚も卵も食べる。食べれないのはお肉だけ。) ベジタリアンになった最初の理由は、チキンにあたったからだった。 その後チキ
神様はすべての者の中にいる。 私は「すべての人の中に」というより すべての者の真実が神だと思ってるところがあるけど 私たちは自我があるから 神そのものであること(に気付くこと)は難しい。 自分の中の神の存在を知らない人、 信じられない人、気付いていない人 知っている人 気付いている人 時々一緒にいれる人 いつも一緒に在れる人 がいる、と私は思う。 昨夜、横になりながら “私は神と常に共に在れる自分になりたいです” と思いながら432Hzの音楽を聴いていたら いつしかその
今日は、前回の続きでありつつ、サティヤ(真実・正直であること)、感情を感じきることの大切さについて書いていきます。 前回のnoteはこちら 先に言っておくと、起きた出来事は問題ではなく、大切なのはその後の心や行動のコントロール。 あるお仕事の手伝いで、お世話になっている先生から声をかけていただいた。 その中で私はリラクゼーションの提供をすることになったのだけれど、声をかけてもらった当初とズレが生じ、その対価(施術代)をもらうことができなかった。 施術直前になって「サー
お久しぶりなnoteです。 ここ一年は、色々動いていたのでなんだか頭も体も心もよく働いて、家に帰ると急激に動いていた分の疲れを流そうと休息に入る、という感じの繰り返しだった気がする。 山梨→千葉→愛媛→千葉→能登→千葉→福岡→千葉 自分が留まり続けられないことは知っているけど、意外と動き続けることもできない自分に、体力がなくなったなあと感じたり、仕事らしい仕事をすると、逆にまだまだやれるんだなと思うこともあったり。 一昨年開業してから1年は走り続けられたのだけど、去年
ヨーガの教えの一つに、「サントーシャ」というものがある。 日本語で言うと、「足るを知る」ことだ。 今持っているもので足りていることを知り、必要以上に求めないこと。今に満足すること。 自分を取り巻くもの、自分自身に「満足する」という意識を持つことで、精神的な豊かさや他とない至福を感じられる。という教えだ。 私たちの心は簡単に“今”から離れてしまう。 いつも未来への不安や期待、また過去の栄光、後悔を心に映し、それらに心を支配されている。 あの頃はこうだった、あの時こうしてい
みかんのバイトで知り合った外国の子が、日本語を勉強したいみたいでちょこちょこ連絡をくれる。 私からしたらすごく上手に話せているように感じるけど、本人はまだまだです、と言う。 その子が先日電話中に、日本語でとても大切なメッセージをくれた。 『好きな場所へ行って 好きなものを見て 好きな人たちと会って 好きな仕事して たくさん、遊んでください 人生は、一度だから』 母国語でもなく、英語でもなく、日本語で言ってくれた。 電話の前から準備していたとは思わなかった。
愛媛滞在中、お休みにルームメイトと滑川渓谷という場所へ行った。 道中は段々と山に入っていく景色が楽しめて、山の中にもポツンポツンと家々がありそこでの暮らしはどんなものなのかと皆で想像しながら向かった。 車を降りるともうそこは下界とは違った空気が流れていて、とても寒かった。 行ったことがあり今回案内をしてくれたルームメイトが事前に寒いことを伝えてくれていたので、完全防寒で渓谷を目指す。 川の横を登っていく。 紅葉の絨毯、木の手すりにまで伸びた苔、倒れた大木をくぐって、何度
前回のつづき。 レイキヒーリングを受けてチャクラの位置を体感した後から始まった、好転反応と思われる状態についてを綴ります。 前回の内容はこちら チャクラの位置とそのエネルギーを感じた翌日、再度太陽神がレイキを流してくれた。 胸と喉のあたりが強かったため、その辺りを中心に手をあててくれていた。 すると今度は、声にならない感情が溢れ出した。 その時自分の中に生まれていた感情は、私にはエゴに感じて受け入れがたかった。 エゴである感情を持つことも嫌で、その感情は届けるこ
前回のつづき。 レイキヒーリングを受けてチャクラを体感したことのつづきを綴ります。 前回の内容はこちら エネルギーのように感じるのは、特に喉のあたりが強く、首の前後左右、上下まで全体に広がってこの身の外側まではみ出していた。 以前、プラーナ学講座を受講した際に、私たちヨガの練習生や一般の人々のナーディーは、その身の外側まで伸びている(つまり、プラーナが漏れている)と学んだ。 そして、ヨギーにもなると、ナーディーは外側へは伸びず、その身にピタリと収まっている、らしい。
前回のつづき。 レイキヒーリングを受けて身体に起きたことを綴ります。 前回の内容はこちら 先日、レイキをあててもらって5回目程の時、私はチャクラの位置を知る、という体験をした。 この日はいつもより長めにレイキを流してくれた。 いつもは後ろから、頭や首、肩、背中に何か字を書いて、腰、お尻(私が冷えてるので)らへんに手をあててくれていたのだけど、この日は身体の前後、胸の辺りやお腹の辺りにもあててくれた。 特に首のあたりが冷えていたらしく、首を重点的にやってくれていた。
前回のつづき。 太陽神のようなレイキヒーラーさん(以下、彼女のことを太陽神と呼ぶ)が通してくれた、レイキ体験について。 これまでレイキは遠隔で一度だけモニター体験を受けたことがあり、その時も自分の心臓の鼓動や、身体の各脈が打つのを細かく感じるという不思議な体験をした。 愛媛に来て、この宿舎では太陽神が何度もレイキを流してくれている。 続けて行うことで効果が高まる?得られやすいらしい。 そもそもレイキとは何なのか? 検索してみると、日本発祥のもので元々は漢字で“霊気”と