悪魔と契約した怒りはすべてを焼き尽くす
怒りは外向きのエネルギーだから
怒りを排除しないで認めていいんだよ、という記事を書いたんだけど
「悪魔と契約した怒り」はまた別物なの。
怒りと非
例えば、嫌なことがあると「なんでこうなったんだろう」と考え、自分に非がないと思えば、起こった嫌なことに理不尽さを感じて怒りが沸いてくる。
自分に非があったとしても、その非を認めることが出来る人ならいいけど、自分の非を認めることが出来ない人は「自分は悪くないもん」「仕方なかったんだもん」と言い訳をしてくる。まわりの人がその言い訳を受け入れたらその場はまるく収まるけど、まわりの人が受け入れなかったら、やっぱり本人は怒りが沸いてくる。
でもね、言い訳をまわりが受け入れてくれてその場はまるく収まったとしても、言い訳している時点で自分の非を自分が認めていることになっているし、みんなの前で非を認められずに言い訳をしてしまった自分に深いとことでは怒りが沸いているんだなぁ・・・
言い訳と理由の違い
責任を認めずに言い訳する人、多いでしょ!
これは、「言い訳」と「理由」の違いを分かってないのも一つの理由だと思う。ニュアンスが似ているから。でもしっかり違いを知ってね。
「言い訳」の意味には「そうせざるえなかった事情」「了解を求める事」「弁明」「物事の道筋を説明する事」などがあります。一般的に「責任逃れ」をする人に対して使われる言葉になります。
つまり逃げているわけ。
「言い訳」は、自分のミスを誤魔化し正当化する目的で使われる。潔く自分のしたミスを認めた方が良いのに!それが出来ない人は、自分が周りから非難を浴びるのが怖くて仕方がない。そんな経験ばかりしてきたのだろう・・。言い訳をして自分を正当化したり他人の責任を負わせたりするから、本当にたちが悪いのです。だって、責任を負わされた人の「怒り」はどこへ向かうの?大抵は、責任負わされた人の人間性の高さに助けられているよね!
そして
「理由」は、自分のミスを認め、ミスを包み隠さず全てを報告するために使われます。言い訳に比べ潔く、自身が自ら周りからの非難を浴びる事を覚悟しています。
学ばない人、学べない人
自分の責任を認められない人は言い訳ばかりするのだけど、これって、自分の状況を把握していない状況です。状況把握できないから逃げていることも分からないだろうし、それをまわりが教えようとしても、結局言い訳をするから。
この状況が続くと、逃げてばかりなんだから
ずっと学べないし、学んでない。
同じ失敗を繰り返す。
そして、同じ失敗ばかりするのだから、怖くて逃げ続ける。負のループの出来上がりとなるのです。
学ばない、学べない人の心は焼け野原
学ばない
学べない
とは、過去の経験が積みあがらない状態。
歴史が積みあがらない。
つまり
歴史が残らない。
何も残っていない
つまり、焼け野原なのです。
なんで、焼け野原なの?と疑問に思った人もいるかな?
現実世界で生きている以上、何かしらの経験はしている。でも、人間体には経験が残らない。それは、いつの間にか、何かに焼かれているからなの。
経験が積み上がらない人の現実世界はどうなっているのか
このような人の心の中とはどうなっているのでしょうか。
すべてを焼き尽くすという状況は、現実世界ではこのようなことが起こるのです。
人の話を聞いていない。
人の話も覚えていない。
昨日のことすら記憶にない(すべてではないよ)
自分の悩んでいることすら思い出せない。
自分の感情が分からない。
人の感情も分からない。
なんで傷付いているか分からないし、逆に笑ってしまう。
など
人は感情に紐づけて経験を記憶する。
その「人間」のパワーの源である「感情」が焼き尽くされてしまうから、経験が経験として積みあがらない。
感情が焼き尽くされてしまうと
心の「場」は焼け野原と化す
あたり一面を焼き尽くしてしまい、何も残らない
燃えるのもはすべて焼き尽くしてしまうのです。
業火ですべてを焼き尽くす~悪魔と契約した怒り~
業火のあと
そこに残るのは、おびただしい量の灰だけ
灰の多さに驚愕する
灰だらけとなった町(心)に風が吹く
風が吹けば
灰は舞い上がる
あたりは何も見えない
灰色の世界
まわりを見ようとすれば
あなたの目は灰で痛めつけられる
もう目を開けていられないし
目の機能を無くしてしまう
失明してしまった・・
灰のせいで匂いも分からず鼻は利かなくなり
皮膚は煤だらけで真っ黒になる
口を開けたら咳き込み
呼吸も出来ない
肺は真っ黒に汚れていくのだ
洗っても洗っても
きれいにはならない
汚れた水が増え続けるだけ
そしてそこは
人が寄り付かない、誰も入れない
闇の沼地になる
闇の沼地に迷い込む人々
誰の心にも怒りはあるし闇もある。
だけど、悪魔に魂が乗っ取られた人の怒りと闇とは全然違うのだけど、普通の人にはその区別はつかない。
だから、
怖いもの見たさでその沼地にやって来る。
同じ悲しみ
同じ苦しみ
似たよな寂しさ
など、誰にも共感してもらえなかった人は
そこへやって来てしまう
来た人を
闇の沼地へ引きずり込む
悪魔は、悪魔を増やしたいから
鬼滅の刃もそうだし
ハリーポッターのヴォルデモートと同じ
悪魔は悪魔の領域をこの三次元に増やしていきたいの
だから!
こういう人を見つけたらすぐに距離をとって
逃げよう
離れよう。
悲しみや苦しみ、辛さに共感しそうになるけど
共振共鳴したら魔の世界にエネルギーを持っていかれるよ!
そして
距離を取った方がいいのだけど
悪魔に打ち勝つ人間を見つけ育てるのが私の仕事なので、着々と進行中でございます。
打ち勝つ
と文字では書いたけど、やっつけたりはしません。私がやっている領域を示せる「言葉」がないのでそう表現しました。あしからず
最後に・・(火は非であり灯にもなる)
非を認めないから怒りが沸く
という切り口で話しました。
非を認めないから学べないのです。
非とは火(非=火)
火を認めないから消すことが出来ないの。
どこで火の手が上がっているか
探せないから
火を消すことが出来なくて
焼け野原になるのです。
火は素晴らしいものです。
私たちに必要なエレメントでもあります。
この火を非にするのか、灯(明り)にするのかは
私たち地球に生きる人間の心の在り方次第なのです。
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