能力を開く人、閉じる人
スピリチュアルな能力が欲しい人は結構いる。
自分がスターシードかも!
ライトワーカーかもしれない!
ハイヤーと繋がれる!
オーラが見える!
などなど、いろいろあるけれど、
もし、本当に能力を手に入れるとき人はどういう思考になるのか。
話していきたいと思う。
自分の興味に突き進む段階
興味があるから学ぶ。
手っ取り速いのはyoutubeだったり、インスタとかかな。
大抵は知った気になるだけで、覚醒までは程遠い。。。
その人が覚醒するかしないかは見ていたら大体わかる。
基本、能力がある人は興味を持つことはないから。
だって、そもそも能力があることが当たり前なので興味を持たない。
覚醒するかどうかは、興味の持ち方が違うから見ていたらわかる。
興味のある事柄が分かるようになる段階
だんだんと本質がわかるようになってくる。
この段階での本質は薄っぺらい。
でもいいの。薄かろうと深かろうと「本質」であればいいんだから。
「本質」にたどり着けない人の方が多いから、たどり着けただけいい方!
現実と精神世界の狭間
現実と精神世界は関係性が深いことが、体験を通して分かるようになる。スピリチュアルは現実で、リアルであり密接なんだと知る。
この段階で、現実と精神世界の狭間に落ちる・・・
落ちた世界は、落ちた人しか見られない世界だから、この世界を真実だと思い込んでしまう。本人は狭間に「落ちた」という感覚がないから。
そして、落ちた者同士、分かり合う。
この世界を知り得るものは私たちだけなんだと、
これが本当のスピリチュアルなんだと共感し広め仲間を集う。
これが「エセスピリチュアル」
現実と精神世界の狭間は
本当に危ないの
狭間とは何か
狭間は「欲」なの。
(わかりづらいかな。分かる人だけついてきて!)
欲に足を取られ、欲に心を奪われるから「落ちる」
狭間は「闇」
「闇」に落ちたら、なかなか上がれない。
上からの力強い「光」が射してきたときのみ上がることが出来る。
狭間に落ちなかった人たち
ここで狭間に落ちなかった人たちは、体験を通して実感したスピリチュアルの怖さを知ることに。
言葉で表現するなら「畏怖」
ここで怖さを経験しなかった人は、基本開かない。
この「怖さ」に恐れおののいて、能力を閉じてしまう人が多いです。ほんと、怖いんだと思う。
ずっと、私に精神世界の話を質問していた人がいて。
キャパないなーと思っていたけど、能力を開花したがっていたから、ゆっくりそっちの方向へ向かっていたら、、
「すべてのモノが見えてしまって、こんなに見えすぎるくらいなら、見えない方がいい!受け止めきれない!!」と開きかけた能力を閉じてしまった人がいたの。
「いいの?知りたかった世界なんじゃないの?」と聞いたけど、「普通がいいです」と言っていた。
興味本位で進むとダメだなーと思った経験でした。
とは言え、何を経験するかは本人の自由だから、能力を手に入れてみたいと思うのも自由。開きかけて怖さを知るのも自由。そして閉じるのも自由。あなたが体験したいものが現れる三次元世界。
こういう人もいていいのです。
怖さの先に
怖さを乗り越えると、その先に「畏敬」という感情が現れます。
この世界(物質世界と精神世界)は、素晴らしいと深いところで感じるようになります。見えないスピリチュアルな世界は、現実であり手にこそつかめないが確実にそこにあることを実感します。
この世界観になると能力が開花しています。
能力者はいろいろいるけれど
さまざまな能力者がいます。
エセやん!という人も多くいますが
能力の大小に限らず、能力の性質に限らず、本当に繋がっていて何かしらをしています。『能力の大小に限らず』と書きましたが、この判断も人間のエゴのなせる業で、本来能力に大小はありません。
能力者の見分け方を聞かれることがあります。
説明、難しい~(笑)
きっと普通の人はエゴが邪魔して見分けられないと思うから。
ただ、言えることは
能力を持っている人は
能力を使うにあたって「何かしら背負ってる」ということ。
例えば
怖いものを見てもその怖さに負けない強さ
苦しい思いをしても飲み込まれないキャパ
能力を利用しようとしてくる輩から身を守る術
などを長い経験のなかで培ってます。
これは、背負ってないと出来ません。
だから、能力者同士はお互いにわかります。
あなたにもあるよ
能力は誰にでもあります。
スピリチュアルな能力に限らず。
この三次元で様々な経験をし、その経験から得られたことから逃げなければ必ず開花します。
自分を信じて
自分の今在る姿を見つめ直して
未来の自分を信じて
進んでみてください。