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生まれ持ったエネルギー値を語る

算命学や万象学で人のエネルギーを算出することが出来る。

エネルギーがたくさんあるから良いわけでもなく、少ないから悪い訳でもない。その人の分相応というのがある。
「分相応」とは、その人物の身分、地位、能力にふさわしい、という意味で、持ち場があるのだと思う。演劇でも、演じる人と観る人がいるように、その場その場の持ち場があるのだ。

エネルギー値が大きい人はそのエネルギーを生かした方がいいのだけど、私の出会ってきたエネルギー値の大きい人は、自分の持っているエネルギーに押しつぶされている人が多い。

動かず、めんどくさがり、物ぐさで、まったく自分から動こうとしない。自分の興味あることは動きはするけど、やっぱり途中でめんどくさくなって、やる気がしぼんでしまう・・・
私ってダメだ・・・と落ち込み、ますますやる気をなくしていく。自己卑下になり自分は何をやってもダメなんだと負のループに陥っていく。そもそもエネルギー値が高いのにこのような状態になると、自分のもっているエネルギーが澱んでくる。暗く重くるしくて陰気な気になるのだ。

なんでもそうなんだけど、滞留するエネルギーが腐る。腐ると自分を侵していってしまう。せっかくのエネルギーを生かし切れていないのだ。

もったいない!!!
もったいないぞ!!!

さて、私はというと・・・
「136」しかない。かなり少ない方みたい(笑)
でも、少ないようには見られず、かなりエネルギーがあるように見られる。

それはなぜか。

分相応で行動するから。

街中をレーシングカーで走ればはた迷惑だし、搭載している装備は宝の持ち腐れである。街中は街中用の車が良い。山道は普通車で行くより四輪駆動で行ったほうがすいすい走れる。
場所に見合った車で行くべきなのだ。

人間の生き方も同じで、
あなたが大きいエネルギーを搭載してこの世に生まれてきたのなら、そのエネルギーを消化できる生き方をした方がいい。少ないエネルギーで生まれてきたのなら、効率良く使うようなエンジンを構築したほうがいい。

そして
エネルギーが大きかろうと小さかろうと、滞留して停滞して腐らせてしまうのはもったいない。流れて流して循環させていけば、必ず充実した人生を送れるのだ。分相応で生きてみよう!置かれた場所で咲いてみてほしいな。


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