詩日誌 2023.09.08
2023.09.08
1.
グッドモーニング雨降りの東京。みみに雨音が飛び込んで台風はもう近くまで来ているのだと知る。
ジャズミュージシャンの菊地成孔さんが語る声をYouTubeからラジオのように聴いている。
机の上に鉛筆。書くことの歴史を更新していく。詩日誌をnoteに投稿する前、五百日くらい日々の日記をスマホで記録していた。
でもそれは誰の目に触れるものでもなかったから、こうやって人目に触れる可能性のある場にノートを置いて書き足していくあり方は初めてのことだ。
後悔の念をテキストに抱かないわけではないが、不完全ながらに流れていくしかない。降り出した雨とテキストの関係を水の思考の中で捉えた。
2.
心根と心音を大切に、進化も退化も関係なくなるくらい毎日を大切に生きれたなら、僕はきっと幸せだろう。
この日誌はInner Music をペンで紙に綴ったものだから、心を鏡のようにして、そこに映ったものを語る。ある意味僕にとってはシンプルな行為だ。
雨の日は内省的になり易い。経験として雨とテクストの関係を僕は知っている。メランコリックな文章を書きたくない。だから今日はなるたけ鼻歌でもうたって過ごそう。
3.
雨はやまずに降り続いている。バルコニーの排水口が詰まり、四階で雨もりが起きたと大家がやって来て言った。これも水の語りの一つか。大事には至っていないようなので良かった。
家の中にいるのに雨やどりをしているような感覚。すっかり透明な雨の色と匂いが街に浸透し、美しい空気をつくっている。
こんな大雨の中、東山魁夷のリトグラフが届けられた。『古き町にて』というシリーズの『ベルゲンの旧市街』。魁夷が北欧を旅した折に残したスケッチである。これを湖畔へ運ぼうと思っているが、この大雨では少し予定を遅らせた方が良さそうだ。
4.
クセナキスの音楽を聴いている。なんだろう実験音楽と呼んでもよさそうなものなのに、僕の生活にすっと入ってきた感じで、最近よくプレイヤーに入れ、何度かリピートさせて聴いている。
クセナキスが建築家であったからなのか、音の隙間から街が立ち現れるイメージがこれを書きながら聴いていたらあった。
音楽について書くと音楽の聴こえ方も変わるようで面白い。
5.
夜、脳も疲れトーンも変わってくる。ひと通りの仕事を終わらせ少しのんびりとしてくる時間。
クセナキスの話の続きを書けば、2004年頃にひょんな縁でパリにあるクセナキスのスタジオを訪れたことがある。
クセナキスが開発したコンピューター上でドローイングを描くとそれが音に変わる機材に触らせてもらった。
僕をスタジオに招き入れてくれた人が、これはとても貴重な体験なのだよと念を押すように言っていた。
その頃は踊ることに夢中であまりわかっていなかったけど、あれは貴重な体験だった。
6.
最後の書。眠る前、マインドもふらふらするから駄文も多いが、書きます。
日常の隙間に鉛筆と紙を挟んで、小さな窓から眺めてみるみたいに、何が出るか、何が映るか、それを確かめる所作。これはある種の音楽活動でもあるのでは、と、吉増剛造さんが書く姿なんかを見ていると、そういう可能性まで見えてくる。なんだかそんな予感めいたものを自分でも感じています。
おやすみなさい、今日はこれで終わりです。