読書メモ「南方熊楠 日本人の可能性の極限」
引用ではない部分は(参考)(感想)など、わたし自身が書いたもの。まとまった感想というわけでもないので、あくまでもメモ。ちょうど2年前に書いたものです。下書きのまま寝かされていました・・・。
P101 大英博物館の円形図書館(図書閲覧室)
(参考)大英博物館WEBサイト。図書館としての機能は変わり、2000年には改修されたが、基本的なデザインは熊楠の頃とほぼ同じのよう。行きたい。
P138 熊楠をよく知る人物からの最高の賛辞
ロンドン大学事務総長 フレデリック・ディキンズより、熊楠の結婚祝いに添えられた手紙(抜粋)
P206 熊楠が神社合祀に反対した理由
P205-208 熊楠は「エコロジー」という語を日本で最初期に用い、重要視した
P208 森そのものとなった熊楠
(感想)五感だけでなく、第六感も発達していた熊楠は、森からすべてを受け取り、森と一つになっていたのではないかと思う。
(参考)「林中裸像」が表紙に使われた本(未読)
P210 国際的視点をもつ、稀有なグローカリスト
熊楠は、ディキンズを通じて海外の世論を喚起しようとした(日本の恥を晒すべきでないと考えた白井光太郎、柳田國男に反対され、思いとどまった)。
このことから唐澤氏は、熊楠を「世界でも稀有な資質を持つ人間」「グローカリスト」と表現している。
P216 「捕まっても、ただでは終わらない」
神社合祀反対運動中に投獄された獄中でも、熊楠は粘菌を発見している(ステモニチス・フスカの原形体)。これまで白色しかないと思われていたが、熊楠は深紅の個体を発見した。
P220 「粘菌」ではなく「菌虫」だ!
(感想)当初、植物界の菌類に分類されていたため、「粘菌」とネーミングされてしまった不遇な動物(本当はアメーバの仲間)。とにかく不思議で、誤解を受けやすい、へんな生き物であることは間違いない。
P222-226 粘菌の生態から導き出した死生観
「生と死の世界を簡単に分断することなどできない」
「生命現象を観察する者の立場は絶対的なものではない」
(感想)全くその通り!生と死について、わたしは以下の文章を大学の卒論で取り上げた(20年くらい前のこと)。
そして「生命現象を観察する者の立場は絶対的なものではない」。これは、観察者効果や二重スリット実験の話。今でこそ認知されてきているが、このような見方は熊楠の時代にどれだけあったのだろうか?
P226 ミナカテルラ・ロンギフィラ(ミナカタホコリ)を発見
1916年4月、自宅の庭、柿の生木にて。粘菌が落ち葉や朽木ではなく生きた木から発見されることは珍しい。うちの柿の木も見てみたくなる。
その他、8種を新発見。2種は発見したものの分類上現在は認められていない?「イタモジホコリ」も熊楠が発見した。現在では研究実験でよく使われている。
P233 キャラメル箱の真相・・・実は桐箱も用意されていた
(感想)桐箱を用意する常識は持ち合わせていたようで、ほっとした。それでもやはり実用面からキャラメル箱を採用するところが、やっぱり好きだ。桐箱があまりにもピシッと閉まるので、緊張して開けるのに失敗するのが不安だったらしい。かわいい笑
P244 日本人の可能性の極限
熊楠の死後、柳田國男は以下のように述べている。
(感想)晩年?性愛に対する考えの違い(熊楠の卑猥さに拒絶反応w)から疎遠になっていたらしい柳田國男は、それでも熊楠を最大評価していた。日本人の可能性の極限の、さらにもっと向こう側・・・誰も到達したことのないところ。ちなみに熊楠は、性愛の問題も民俗学上は非常に大事なことだ!と主張。わたしもそう思う。宮本常一の本で、そういう聞書があって面白い。(「忘れられた日本人」より『土佐源氏』)
(終わり)
これが初めての熊楠本ではないので、よく伝記で書かれていること等、既に知っていて新たなインパクトが特にないものは書かなかった。
あ・・・死後デスマスクをとって、遺言で脳を研究用に保存しているというのはインパクトあった。(阪大に保存)
夢、やりあて、南方曼荼羅については先に読んだ「南方熊楠の見た夢 パサージュに立つ者」に詳しい。著者は同じく唐澤太輔さん。