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自分で決めるということ

どちらかというと飽きっぽい方なのに、なんでnoteはこんなに続いているんだろうと考えた。192日目らしい。

例えば実は、去年なんだかんだ数ヶ月毎日のように書いていた日報は「書かなきゃ」というプレッシャーで正直えげつないくらい嫌だった。日報なんてたった数行、大したことなんてないのに。
励ましのコメントも激励のコメントも、どんなものが返ってくるかわからないと思うとたかだか日報なのに気持ちが重くなってため息が出た。
周りのことなんてそんなに気にしないと思っていたので、こんなにちっちゃなことでもストレスに感じてしまう自分に笑った。
たぶん、あんまりこれは人に言ったことがないのだけれど。

noteなんてもっと面倒臭いはずなのに、なんだかんだ毎日続いているし、なんなら楽しく書いている。(何書こうかなって手が止まる時はあるけれど)

たぶんこの差は「内発的な動機で始まったか」、つまり「自分で決めていたか」なのだと思う。

自分で決めたことに関しては、どんなに辛くても面倒臭くても頑張れる。
だって自分で決めたもんね。

でも、自分で決めてないこと、義務感でやらなきゃと思ってしまうことに関して、わたしはてんで駄目らしい。
そこには物事の難易度ややりがい、ひいては自分の成長なんかも全く関係がなくて、自分で決めたか決めていないか、以上。というシンプルな構造のようだ。

そういう人間に生まれついてしまったことは仕方ないので、いかにして「自分で決める」という総量を増やしていけるか、これに尽きるんだと思う。

自分の人生、自分で決めるんだ!という我儘さを持って。
自分で決めて、自分の足で歩く。



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しらも
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