『灰羽連盟』における原罪、そして赦し
もうお盆も終わり、8月も後半戦に突入した今日このごろ、皆様いかがお過ごしだろうか。
お盆中は横浜や東京などに行っていた(これについての賛否は受け付けていない)が、そんな家から遠ざかっていた生活の中でも、一作のアニメを観終えることができた。『灰羽連盟』である。
『灰羽連盟』とは
『灰羽連盟』は2002年に放送されたアニメで、『serial experiments lain』(以下『lain』)でお馴染みの安倍吉俊氏の同人誌『オールドホームの灰羽達』を原作にした作品である。
個人の同人誌が原作という特異な出で立ちもさることながら、「灰羽」と呼ばれる、頭上に光輪を付け、背中に羽が生えた少年少女達が住む街「グリの街」を舞台にした、ヨーロッパの寒村的な世界観が特徴だ。
安倍吉俊氏は高校生の頃に知った『lain』でその絵柄に惹かれ、当時発刊された『ユリイカ』2010年10月号の氏の特集号を当時買ったくらいには好きなイラストレーターである。そんな彼が携わった作品ということもあって、今まで何度も観たいと思ってはいたのだが、中々その機会がなかった(怠慢と言われればそうかもしれないが、そんなものである)
だが、観終えた現在の感想としては「良かった、もの凄く良かった」である。何ならもっと早く観ておくべきだったと軽く後悔している。その理由としては、自分が持つ、ある種の「原罪意識」が本作でも描かれていて、それに対する「赦し」が重要な要素として描かれているからである。
なお、本noteでは『灰羽連盟』の設定や人物描写を思いっきり具体的に書いているので、ネタバレ注意である(文章中に設定をグダグダ書いているので、後で時間があるときにでも、岩波文庫よろしく、最後にまとめて注釈で設定を書き直そうと思っている)
自分の原罪意識について
「原罪意識」というのは本来キリスト教に登場する概念ではあるが、自分は「自分は〇〇していいのだろうか」と思ってしまうことと解釈している。「自分はここにいて良いんだろうか」「自分はこんな風に生きて良いんだろうか」「自分はこんなことをして良いんだろうか」などという、一種の自己否定的感情、あんな感じだ(敢えて言ってしまえば、このnoteですら「こんな感想を書く必要があるのだろうか」と思ってしまっている節がある。「既に『灰羽連盟』に関する優れた考察は、ネットにいくらでも転がっているのに」的な)自分だけではなく、彼女や身近の友人にも何人かいる(特に彼女は頻繁にその状態に陥るので、中々大変である)
この原罪意識の源泉は、恐らく家庭環境と学校環境によるものだろう。自分の家庭は荒れているとまではいかないものの、母と父の喧嘩は幾度となく目にしてきたし、小・中学校時代はいじめられっ子だった。その頃の経験が傷跡として残っているのだと思う。おかげで今でも人の目を気にしてしまい、周囲の人と上手くコミュニケーションが取れなかったり、自己表現が苦手だったり、失敗やミスを極度に恐れてしまう。
「罪憑き」について
自分語りはこのくらいにして、そろそろ『灰羽連盟』の話に戻そう。本作では、重要なワードとして「罪憑き」というものが存在する。
通常、灰羽の羽根はその名の通り、灰色である。だが、罪に憑かれてしまった灰羽は別で、その羽根には黒い染みが広がる。作品世界で「街の祝福を受けた存在」である灰羽たちに対して、「街の祝福を受けられなかった存在」、それが「罪憑き」である。灰羽は生まれてくる時に見た夢の内容から名前が付けられるのだが、罪憑きは自分の見た夢を完全には覚えていない(作品世界中ではレキとラッカが該当する)
ラッカは作中、クウという別の灰羽の「巣立ち」(有り体に言ってしまえば、グリの街を去ってしまうこと。街から巣立った灰羽は、もうグリの街に戻ってくることはない)を経験し、その悲しみによって罪憑きと化してしまう。7話から始まり、9話まで続く、ラッカのこのエピソードは大変重苦しい内容だが、彼女の悲しみとその赦しが描かれた、とても重要なエピソードである。
「罪の輪」について
さて、9話で話師とラッカとの間で、「罪の輪」という謎掛けが示される。話師とは、四方を壁に囲まれたグリの街で唯一、外からの交易人であるトーガらと(指文字手話だが)会話ができる存在であり、同時に灰羽たちの生活保障を担う組織「灰羽連盟」の一員でもある。
「西の森」と呼ばれる、灰羽があまり近づいてはいけない場所に行き、枯井戸の底でカラスの白骨化した死骸を発見したラッカ。トーガらに発見され、枯井戸から救助されたラッカに話師がかける謎掛けが、この「罪の輪」である。以下、会話内容を引用する。
話師:罪を知るものに罪はない。これは罪の輪という謎かけだ。考えてみなさい。罪を知るものに罪はない。では汝に問う。汝は罪人なりや?
ラッカ:わたしは繭の夢がもし本当なら、やはり罪人だと思います。
話師:ではお前は罪を知るものか?
ラッカ:だとしたらわたしの罪は消えるのですか?
話師:ならば、もう一度問う。罪を知るものに罪はない。汝は罪人なりや?
ラッカ:罪がないと思ったら今度は罪人になってしまう。
話師:おそらく、それが罪に憑かれるということなのであろう。罪のありかを求めて同じ輪のなかを回り続け、いつか出口を見失なう。
ラッカ:どう答えればいいんですか?
話師:考えなさい。答は自分で見つけなければならない。
罪を知った者は罪人ではなく、逆に罪はないと思えば罪人になってしまう。一体罪はどこにあるのだろうかと思い悩む、延々に続く無限ループ。これが罪の輪である。そこから抜け出すには、ループの外部から自分を引っ張り上げてくれる他者の存在が必要になってくる。(自分一人でも抜け出せなくはないだろうが、とても険しい道だ)
ラッカは放浪の末、夢の中で自分を助けてくれていた他者(カラス)の存在を思い出し、自分は独りではないことを知り、自分を赦すことに成功する。そうして、罪憑きではなくなるのである。
レキの場合
こうして、ラッカは罪憑きという呪いから逃れることができた。一方、本作のもう一人の主人公、レキの場合はどうか。彼女は自分の夢の中で、小石の中を歩いていたという話から、「礫」という名前を付けられた。
しかし灰羽には命名された名前とは別に、同じ発音だが違う文字が真の名としてそれぞれ付けられていて、それがその灰羽の本質を表している(ラッカの場合は「絡果」であり、意は「絆を絡ませあい、実を結ぶもの」である)レキの場合は13話で明かされることになるが「轢」、すなわち「引き裂かれたる者」であった。
明かされた真の名を見て、自らの夢を思い出すレキ。信じても裏切られ続け、自ら路端の石になることを選んだことを打ち明ける彼女はラッカを拒絶し、自らが描いた幻影の列車に轢かれて消えようとする。
一度は拒絶されたラッカだが、レキの日記を見つけ、始めから彼女に守られていたことを知り、今度はラッカ自身が「鳥」になってレキを助けることを選び、そして彼女自身もようやくラッカに助けを求めることができたため、最終的にレキは幻影に轢かれることなく、自らを赦すことによって真の名を書き換え、巣立ちを迎えることができた。レキの絶望とラッカの決意、そしてレキの巣立ち。胸が締め付けられる、素晴らしい最終回である。
二人の死因、レキの孤独
サンプル例がレキとラッカだけなので断定はできないが、罪憑きになってしまう要因が前世での「自殺」であるということは、作中描写から容易に想像がつく(キリスト教において自殺は罪なので、そういう意味では本作はキリスト教の影響を大いに受けているといえる)
ラッカの場合はおそらく投身自殺であり、カラスは親か友人か、あるいは学校の先生か、いずれにしても生前彼女を助けようとした者のメタファーなのだろう。結果として生前のラッカを止めるに至らなかったものの、そんな「他者」の存在を思い出すことによって、自分は独りじゃないことを思い出し、前述した通り自分を赦すことができた。
一方レキの死因は、幻影の列車からもわかる通り、おそらく飛び込み自殺であろう。ただ、ラッカと違うのは、夢の中には自分以外の誰も存在しないという点である。他者が存在しないということは、たとえ夢を思い出したとしても、他者との繋がりによって自分を赦すことができず、罪の輪に囚われ続けるということである。
「良き灰羽」として振る舞ってはいたものの、それは「そうすることでいつか自分にも『赦し』が与えられるのではないか」という期待(打算)を含んでいた。内心は自分の心根を曝け出すことを恐れ、誰よりも孤独だったのだ。そんな彼女が見出した「希望」こそが、ラッカなのだろう(そうした観点でもう一度始めから見直すと、1話でラッカの繭を見つけた時のはしゃぎようと、その後の献身的な手助けにも意味があったことがわかる)
レキとラッカ、二人の「赦し」が描かれた作品、それが『灰羽連盟』なのだ。そして本作で描かれたことは、そのまま現実世界の我々にも当てはまる。
・「他者との繋がりを意識する」こと
・「罪の輪から抜け出す」こと
・「自分を赦す」こと
この三つが「赦し」を得るために必要なことなのだろう。コロナ禍により、ますます個人と社会との距離感覚が剥離しつつある現代にこそ、本作のような作品が必要なのかも知れない。
終わりに
さて、今まで散々書きなぐってきたが、いかがだっただろうか。勢いのままに書き始めたはいいものの、中々長い文章になってしまって、自分でもびっくりしている。
既にインターネット上には、本作に関する優れた考察が山のように存在している。一回見ただけの自分が感想を書いて一体何になるのか。そう思いながらも書き始めたが、書いてみたら思ったよりしっくりとしたものになっていると感じる。やはり他者の考察もタメになるが、自分で考え、書いたものが一番自分に合っていていいのかもしれない。
作中用語はBD-BOX版のブックレットを参考にした。自分の思ったことはほとんどこれに書いてあるような気がするが、敢えてあまり見ずに書いた(理由は上記に書いてある)そのため、設定などに多少ミスがあるかもしれないが、コメントなどにてご指摘いただければ幸いである。
今までもそうだったように、これからの人生においても、私は傷つき、落ち込み、思い悩むだろう。そんな時は、あの物寂しくも温かい、グリの街とオールドホーム、そして灰羽たちの元に帰っていこうと思うのだ。