昔の映像業界の話。
「日本は映画大国としてはとても例外的な国」 是枝監督が改善策を政府に提言 という産経新聞の記事を読んだんですけどね。日本には、公的な映画協会のようなものが無いらしく。労働環境もブラックだから、フランスや韓国で監督経験のある是枝監督が、他国との違いを国に提言する機会があったのだそうで。
フランスでは週休2日、1日8時間労働が義務付けられているとのこと。一方、日本で一昨年「日本映画制作適正化機構」が設立され、この機構が定めた適正な労働時間は「準備・片付けを含め1日13時間、2週間に1度の完全休養日」とのことでした。
現状これより酷い労働環境だから、これが適正と提言されたのだろうけれど、十分ブラック、フランスとの差があり過ぎて愕然としてしまいます。
そんな話を夫にしていたら、大昔の就職活動の話をしてくれました。40年近く前の当時、夫は映画を撮りたくて某美大の映画・映像科に在籍していたのです。制作する作品の出演者にスカウトされたのが、夫と知り合った切っ掛けでした。その作品をコンペに出したところ、特別賞を頂いて、審査委員長だった大島渚監督に表彰されて握手して頂いたのが、良い思い出になっています。
ちなみに今は全く違う業種でフリーで仕事をしています。当時はアングラが持てはやされていた時代、作品上映会に夫と何度か行った事があるけれど、学生の自主制作作品は、何だか分からないものが多く。大体、8㎜フィルムで撮影するのが主流だったし。
8㎜フィルムのフィルム代も現像代も高価、バイト代の大半をフィルム代に費やしていたと思います。編集はフィルムを切り貼りして大変な作業でした。ビデオカメラは登場していたものの、まだまだ高価な時代。
他の学生に比べれば夫の作品はストーリーがちゃんとあって、筋道がしっかりしていて完成度が高く。当時の学生にありがちな、イメージ映像作品とは違ったのが、評価されたのだと思います。
賞を取ったからか、ゼミの教授に就職先を5つくらい紹介されて面接に行ったのだそう。1990年頃の当時は、日本映画は絶不調な時代で。映画業界ではなく、テレビの映像制作関係を紹介されたとのこと。
面接で仕事の内容を尋ねたところ、お弁当や女の子の手配とかだと言われたのだそう。結局、下働きの使い走りです。新入りなら当然だけれど、映像を撮りたい学生にとっては、心が折れる体験だったみたい。
労働時間を聞いても、「朝早くから夜遅く」と言われ、休みなんかもろくに無かったのだそうで。その後は畑違いの業界に入ったけれど、クリエイターの仕事なんてどこも同じなので分かります。何か制作を始めると、ノっている時にどんどん進めたいものだから、休みなんて「キリの良い時」になりがち。
職人気質な夫の性格上、社交やお使いなんて上手に出来ないのは目に見えているため、止めたのは正解だったと思います。5社の面接のうち4社はどこも似たようなもので、1社だけマトモそうな所があったものの、パスポートを見せられて。いろんな国のスタンプを押しきれず、紙を追加するほどのものだったそうで。
「ウチは日本にいるのは年に2か月くらいだけど、それでも良いなら」と言われ、さすがにそれもちょっと、と考えてしまったのだそう。当時私と付き合っていなかったら、飛び込んでみたかもしれません。でも胃も弱めの繊細な気質の夫が、30年前の世界各国での撮影なんて出来るわけもなく。野宿とか、異国の食べ物とか、過酷な撮影環境はザラかもしれず。
結局、そっちの業界に行かずに正解だったと今は思います。このPCやスマホの普及した今、夫が若かったなら、もっと気軽に映像作品を作ってYouTubeなんかに載せられたのにと思うと、少し勿体なくも思う今日この頃。