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読みたいから読む。
朝、ママとあんみつの話してたら、
めっちゃ、あんみつ食べたくなってしまった。
甘味処にひとりで行くっていうのが憧れ。
梅園行きたいな。
こんにちは。おはよう。
来輝です。
私はなぜ洋書を読むんだろう。
とたまに自問自答したくなる時期がある。
和書から洋書にがっつり移行し始めたのは、
昨年、高校3年生の時。
学校での私は、友達はいないけど、
廊下で挨拶する知り合いはたくさんいて、先生と仲が良い。
という「一人っ子AB型」の性格を丸出しにした人間でした。
特に高校最後の年は人間関係に疲れていたので、
人とはよく話すけど、友達になるほど深入りはせず、
頑なに「一人行動」を貫いておりました。
その間中、ずっとずーっと洋書を肌身離さず持ち歩き、
貪るように読んでいた。
「洋書なんてよく読めるね」「本読まないなー」
なんて言われたりする。
私にとって、洋書でも和書でも「文字を読む」ということは、
呼吸をするくらい、水を飲むくらい、当たり前で必要不可欠。
自分の力では上手く表せない気持ちを本の世界に探して、
とにかくかじりつく。
私の頭の中でたまに生まれる、混沌とした世界を鎮めるのは、
いつも言葉の力。
本を読んでいる時に周りの世界が消えるあの感覚。
言葉に埋もれている時の満たされた心。
私にとってはずっと当たり前なこと。
現実世界と言葉の世界、両方に足を突っ込んで生きてきた人生。
でも私の当たり前に当てはまらない人がいるのが当たり前。
そのことに気づくたびに、
「じゃあなぜ私は読み続けるのかしら」と疑問に思う。
読みたいから、読む。
多分それくらい単純なこと。
読書全体の話になってしまったけど、
洋書を読むのは私がただ英語に恋してしまったからなんだよな。
いわゆる純ジャパで、洋書歴より和書歴の方が長い私だけど、
なぜか英語の方が私の心にフィットしてる気がする。
洋書を読んでる時は、英語がそのまま脳みそにスーッと入っていく、
日本語を読む時とは全く違う感覚がある。
いい意味で「頭を空っぽ」に出来るっていうのかな、
心の柔らかいところに直接届く感じ。
日本語にも英語にも、そしてきっと他の言語にも、
特有の美しさがあって、私はそれが好き。
それを読んでみたいから、体験してみたいから、
何があっても本というものに戻ってくるんだ。
探してみると、
答えを見つけるのは意外に簡単だったりする。