『シン・仮面ライダー』を熱心な仮面ライダーファンでは無い大学生が観た感想

この映画、『仮面ライダー』作品の1つとして観るか、1本の映画として観るか、そういった観客の見方によって大きく評価が変わりそうな気がする。
当記事はSJHUファンではあるが、エヴァを除く各作品の原作シリーズには詳しくない、ちょっと映画好きな程度の23歳大学4年生による感想記事である。

どれくらい原作シリーズに詳しくないかというと、『仮面ライダー』シリーズに関していえば、初代を49話まで、『クウガ』を32話まで観た他は、『ギーツ』『セイバー』などをYouTube公式チャンネルやPrime Video等でほんの数話ずつしか観ていないレベルだ。

自分の持つ観点を揺らがせないため、他のレビューを観ることなく映画を観終わってすぐに書いている。ただし明らかな間違いを書いてしまわないよう、パンフレットにある監督と役者陣のインタビューのみ、一応読んではおいた。
(厳密にいえば映画に限らず芸術作品には「観た人に伝わったものが全て」という側面もあり、作り手がどのようなつもりで作っていようと、観客の持つ感想にはそれは関わりないという観方もあるのだが、ややこしいのでその話は置いておく)

また、映画をまだ観ていない方のために、公式サイトやPVから分かる情報以外にはなるべく触れず、ネタバレしないよう努めてはいる。が、どうしても多少のネタバレは避けられないので、全く感想を入れずに観たい方にはブラウザバックを推奨する。

あらかじめ感想のスタンスを書いておくと、「僕の気持ちはスッキリしなかった」といった具合だ。

スッキリしなかった点の方から話を始めよう。

まずこの映画、かなりセリフの良い方が淡々としており、しかもほとんどのセリフが非常に……なんというか、「セリフ的」になっている。「物語のセリフ」として確かに完成されているのだが、それゆえに人間的な、自然な印象がまるでなく、セリフの言い方も相まってほとんどの登場人物があらかじめ用意されているセリフをただ述べている感が強い。生身の人間の演技を見ている感じがしないのだ。それゆえまるで登場人物に感情移入することができず、決められたレールに乗った物語をただ観ているような印象を受けた。この印象は柄本佑がセリフを発するまで続いた。(柄本佑および森山未來が登場してからの印象は異なるため、仮に柄本佑のセリフより前を前半部、登場後を後半部とする。実際に映画の中で半分に分かれているという意味ではない)

ただこれは庵野監督の作品に共通の特徴というわけではもちろんなく、同じSJHU作品でも『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン』の役者陣の演技にはかなり熱が感じられた。
であれば、『シン・仮面ライダー』前半部の機械的なセリフ回しはわざとであろう。
こうした機械的なセリフ・表情には一応、脚本上の理由(登場人物の多くが普通の人間では無い等)があるとは思われるが、ではなぜ庵野監督がこのようにしたのかを考えると、アイコンとしてのキャラクター表現を試みたのではないか、というように自分には感じられた。
ヒーローは1人の人間であると同時に、ヒーローというアイコンでもある。近年のMARVEL作品はヒーローのアイコン化からの脱却を目指して、彼らの人間性を描く方向にシフトしている傾向にあるが、本作の前半部はこれとは逆に、昔ながらのアイコンとしてのヒーローを描こうとしたのではないだろうか。

こう思う理由は、後半部に入ってから明らかにストーリー展開も役者陣の演技も変わっているからだ。劇中で流れる、とあるキャラクターのメッセージ動画は顕著な例だろう。単にキャラクターの成長を表しているとして捉えることもできるだろうが、どちらかというと映画の前半部と後半部で描きたいものが異なるように僕は感じた。(繰り返しにはなるが、前半部・後半部は当記事内での便宜上の区分で、実際の時間の割合は不明)

後半部はかなりキャラクターの感情面にスポットライトが当てられている他、とあるキャラクターの造形にも腰あたりに近年の『仮面ライダー』作品(もちろん僕は知識としてしか知らないが)に似た傾向を感じるパーツがあり、後半部は現在の『仮面ライダー』ないしこれからの『仮面ライダー』を描こうとしているように思える。
また49話までしか原作を観ていない程度でも知識としては知っている、『仮面ライダー』の変身ポーズや見た目の変遷といった『仮面ライダー』の歴史面を2時間の中である程度再現するという試みもあるようには思う。

が、そういうつもりで作ってそうだな~というのが分かるのは当然、後半部に入ってからで、前半部の機械的なセリフの連続は正直飽きたし疲れた

またもう一点スッキリしなかったのは庵野監督のリアリティ・ラインの基準だ。これが全然伝わってこなかった。
ショッカーの目論見に対して全然国家権力が働いていない原作に比べると、国家権力は機能しているし、ショッカーの作戦自体にも筋が通っている。
ライダーとショッカーに共通する改造方法(?)の設定も、当時のものより無理のないものになっていると言えよう。
つまり傾向としてはリアル寄りになっているのだと思うのだが、その割にはCGはちゃちい。しかもやっぱり多分わざと。CGを用いたアクションシーンでは焦点や動きを止めるフレームの長さの関係でキャラクターが随分と目立っており、ここら辺もリアリティ重視な昨今のMARVEL作品の真逆を行く、特撮感マシマシな演出に見える。
なら設定的にはリアル寄りだが演出を特撮らしくした、というところなのかと思いたいところ、ここに仮面ライダーのセリフがマスクに籠って聞き取りづらいという要素まで入ってくるのでもう分からん!何がしたいんだ庵野監督は。僕みたいな人間には分からんよ。多分『仮面ライダー』をもっと知ってればもっと理解できるんだろうな。この記事で書いたこと全部間違っててもおかしくないくらいには分からない。

一方、良かった点でいえば、まずは何より画の美しさだろう。1場面1場面どころか、1画面1画面がいつ切り取っても絵になるくらいに徹底的に計算されつくしており、同じく計算されつくしたセリフと比べると、この画の美しさはただただ良い方向に機能しているように思えた。

またキャラクターの造形も凄く良い。ネタバレになってしまうので多くを語れないが、レザーの質感が感じられる衣装や、めちゃくちゃジャパニーズスタイルなとある怪人なんかはかなり素敵だ。正直ビジュアル面の良さだけでも一見の価値がある映画だと思う。

映画序盤・終盤の地に足のついた戦闘シーンは鬼カッコいいし、原作楽曲のアレンジも最高にクール。
他のSJHU作品のロケーションやアクションを使ったセルフオマージュも凄く好み。

色々と良い点はあるのだが、それ以上にスッキリしなさが僕的には勝ってしまった。そんな『シン・仮面ライダー』、皆さんの感想はいかがだっただろうか。ぜひともお聞かせ願いたい。

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