ホラーに挑む2022 第11回:映画『NOPE/ノープ』感想

『ゲット・アウト』と『アス』に続き、ジョーダン・ピール監督の『NOPE/ノープ』を観ました。あんまりホラー映画感はありませんでしたが、前作までの流れで一応ホラー映画枠として扱います。

ちなみにジャンルについて、日本語版公式サイトではサスペンス・スリラー、映画.comの評論ではミステリーSF、Wikipediaではホラー映画と書かれています。

僕が観たところでは、この映画はホラーテイストのあるSFアクションといったところでしょうか。系統としては『エイリアン2』に近いかもしれません。

予告編の時点でUFOと思われる物体が登場していて、ジョーダン・ピールのことだしもう一工夫あるだろうと思っていたら、大筋は予告と変わらずUFO的なものと対峙する話だったこの作品。

『AKIRA』や『エヴァンゲリオン』へのオマージュもあり、SFアクションとしてはかなり楽しめる映画だと思います。終盤はハラハラしながら観ていました。逆に、怖い映画を期待して観に行けば肩透かしを食らうでしょう。

さて前2作でも社会風刺が込められた映画を作っていたジョーダン・ピール監督ですが、本作は今まで以上に抽象的なシーンが増えており、作品にメッセージ性が強調されているであろうことが窺えます。しかしウェブ上で感想や考察記事を読むと、この映画に込められた意味の解釈は人によって大きく異なっており、なかなか理解しにくい映画であることも見てとれます。

特に難しいのは、物語の大筋に直接は関係していない『ゴーディ 家に帰る』なる劇中劇のエピソードが頻繁に挿入されていること。この劇中劇が主人公たちとの物語とは一見直接繋がっていないだけに、このシーンが何を意味しているのかが観た人によって異なって受け取られているようです。

僕は『ゴーディ 家に帰る』と、ストーリーの本筋で主人公たちが対決するUFO(作中の発言曰く、現在ではUAP)とから、この映画は見る者と見られるモノ(=娯楽、メディア)との関係を風刺した作品ではないかと感じました。

本作のUAPは登場人物たちから見上げられ、観察され、撮影される「見られる対象」です。また猿のゴーディもドラマの撮影のために使われ、消費される「見られる対象」であります。
そんなUAPもゴーディも本来「見る側」である人間に牙を剥き、襲い掛かるわけです。「見られるモノ」が「見る者」を文字通り"捕食する"。エンターテインメントが多様化し、作品が山ほどあるサブスクサービスや6秒で消費し忘れ去る動画を提供するSNSもある時代、気づけばメディアを意図的に消費するのではなく、メディアに振り回され、それらから離れられなくなり、自分の時間が食い潰されていく。『NOPE/ノープ』はそんな現代の逆転現象を風刺した作品だと捉えることもできるのではないでしょうか。

UAPは作中の人間たちを「見て」捕える側、つまり「見る者」であるようにも思えるかもしれませんが、次のシーンから、僕はあくまでもUAPは「見られるモノ」であると判断しています。

映画冒頭、人類最初の映画フィルムが映されていた場所を思い出してみてください。あのフィルム、つまり「見られるモノ」はどこにありましたか?

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