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『魂の文章術』、未来の私の為のまとめ

丁度昨日、先月より少しずつ読んでいた、ナタリー・ゴールドバーグさん名著『魂の文章術』(小西啓子訳)を読み終えた。正に私が出会うべくして出会った本。「書く」ということについて、技術的視点ではなく、精神的にどうアプローチし書いていくのかが綴られている。

刊行されて、2024年の今年で38年になるそうだが、アメリカでは大学の授業で使われていたりと、あらゆるライターの書くための精神的バイブルだ。

心の片隅で書きたいと思っていても、時間を理由に書かなかったり、何を書いて良いのか分からない時でも、とにかく「書く」。意味不明な言葉でも良いから。

私は感動する本に出会うと、気になる1行に付箋を貼って行き、本を読み終えたら、付箋を部分を全てノートに書き写し、たまに見返す。今日は折角なので、同じノートでも、こちらの note の方で、その作業を行おうと思う。

〜「自転車を食べる男」〜

・書くことは、ある意味でこうあるべきだ。「なぜ」と聞いたり、お菓子(またはスパークプラグ)の山からそっといくつかつまみ上げるようにではなく、なんでも好き放題心に食べさせ、それから紙の上に勢いよくどっと吐き出すのだ。「これは書くに値する題材だ」「そんなことは書くべきじゃない」などど考えないこと。書くことは全てであり無条件だ。

・なんであれ、心に無理強いしてはいけない。邪魔にならないよう一歩退いて、内側から湧いてくる思考を書きとめるだけでいい。

・湧いてくる思考に従っていけば、こうした飛躍があなたにも訪れてくるだろう。

〜「こだわり」〜

・物書きは結局、自分のこだわりについて書くことになるものだ。自分にまとわりついて離れないこと、どうしても忘れられないこと、自分の中にあって解き放たれるのを待っている物語……。

・「私は生徒にこだわりのリストを作らせる。そうすることで、普段自分が無意識に(あるいは意図的に)絶えず考えていることがわかるからだ。いったん書きとめておくと、のちのちとても役に立つ。それが書く題材のリストになるからだ。また、大きなこだわりにはパワーがある。文章を書いているうちに、あなたは何度も何度もそこに戻ってくる。その度にあなたは新しい物語を生み出すことになるだろう。そうであるなら、こだわりには逆らわない方が良さそうだ。おそらくそれは、望もうが望むまいがあなたの人生を支配するものなのだから、できれば自分の為に利用すべきだと思う。

・芸術家の人生が楽だなんてとんでもない。作品をつくっていないかぎり、けっして自由にはなれない。

・依存症の作家が酒を浴びるように飲むのは、何も書いていなかったり、書けなかったりするせいなんじゃないか、と私は思っている。作家だから酒を飲むのではなく、作家なのに書いていないから飲むにちがいない。

・昔の私は、自由とは自分のしたいことをすることだと思っていた。しかし、ほんとうの自由とは、自分が誰であり、この世における使命がなんなのかを知り、それをひたすら実行することだ。

・書くことにこだわるのはいいことだ。でも、こだわるなら、書きなさい。それを歪めて飲酒に変えてしまってはいけない。

〜「ケーキを焼く」〜

・書くという行為自体が文章を綴っていく。あなたは消え失せる。あなたはただ、自分の中を流れていく思考を記録するだけだ。

・文章を書いている時は、「あーあ、こんな人生いやだなあ。イリノイ州に生まれていれば良かった」などと考えるべきではない。考えてはいけない。あるがままを受け入れて、その真実を書き出すのだ。

・書いているとき時計に目がいってしようがないなら、自分にこう言い聞かせよう。「何時間かかろうと、三枚(何枚でもいい)の紙の裏表を埋めるまでは ー すなわちケーキが焼きあがるまでは ー 書き続けること」。また、いったん熱が起こりはじめたら、それが悪魔のケーキになるのか天使のケーキになるのかは分からない。なんの保証もない。でも心配無用。どちらもおいしいのだから。

・自分の気持ちがどんな味なのか読者にわかるよう、ちゃんと材料を入れること。そうすれば、読者もグルメのように、「あら、それってパウンドケーキね、チョコレートケーキね、レモンスフレね…」と言ってくれるだろう。書き手の気持ちはそんなふうに感じられるわけだ。「すごかった、すごかった!」と書くだけではだめ。すごいのはわかったけど、どんなふうにすごかったの?その風味を読者に伝えてほしい。言いかえるなら、ディテールを使うこと。ディテールはものを書く時の基本単位なのだから。

〜「二度生きる」〜

・大雨が降ると、人は傘をさしたり、レインコートを着たり、新聞紙を頭にかざしたりして、大急ぎで通りを駆け抜ける。物書きは逆に、ペンとノートを手に、雨の降る道路に出ていく。水たまりに目をやり、それが広がっていくようすや、雨水がはねるのをじっと見つめる。

・結局のところ物書きは、お金を稼ぐことより、書くことの中で人生をもう一度生きることのほうに関心がある。もちろん、物書きだってお金は好きだ。また世間一般に信じられているのとは逆に、食べることが芸術家は大好きだ。ただちがうのは、お金が原動力にはならない、ということ。私は書く時間があると豊かに感じ、お金を稼ぐのに忙しくて本業がおろそかになると、とても貧しく感じてしまう。

〜「物書きはいい身体をしている」〜

・ハイになりたかったら、ウイスキーを飲むかわりにシェイクスピア、テニソン、キーツ、ネルーダ、ホプキンズ、ミレー、ホイットマンを読もう。声に出して読み、身体を歌わせよう。

〜「聴くこと」〜

・考えすぎは禁物だ。言葉と音と色鮮やかな感情が生み出す熱の中に飛び込み、ペンを紙の端から端まで動かし続けよう。

・十七世紀の俳人松尾芭蕉はこう言っている。「木について知りたければ、木のもとへと行くべし」。詩について知りたいなら、詩を読み、それに耳を傾けよう。その様式や形を自分の中に刷り込もう。一歩身を引いて論理的な頭で詩を分析したりしないこと。全身で詩の中に入るのだ。

〜「語るより見せろ」〜

・文章についての古くからの格言に、「語るより見せろ」というものがある。これは実際なにを意味するのだろう?それはたとえば、怒り(あるいは誠意、真実、憎しみ、愛、悲しみ、人生、正義といった深刻な言葉)について語るのではなく、自分を怒らせた物を具体的に示せということだ。具体的に示されていれば、読む人にも怒りが伝わってくる。読者になにを感じるべきか命令してはいけない。自分を怒らせた状況を示すなら、同じ感情が読者の中に湧きあがってくるはずだ。

・ものを書くことは心理学ではない。作家は感情について語らない。そのかわり、自分で感じたことを、言葉をとおして読者の中によみがえらせる。作家は読者の手を引いて、悲しみと喜びの峡谷を、それに直接言及することなく案内するのだ。

〜「動物になろう」〜

・人は自分自身から逃れることはできない。文章を書いているとき物書きであるなら、料理をしているときも、寝ているときも、歩いているときも、あなたは物書きだ。あなたが母親でも、絵描きでも、馬でも、キリンでも、大工でも、それを文章に生かすことができる。書くことはあなたについてまわる。自分を自分の一部から切り離すことは不可能なのだ。

〜「意見ははっきり、答えはきちんと」〜

・明確でしっかりした物言いをすることは ー とりわけ文章を書きはじめたばかりの人にとっては ー たいせつである。「これはいい」「それは青い馬だった」とはっきり言うこと。「えーと、変に聞こえるのはわかっているけど、たぶん青い馬だったように思えるの」ではいけない。はっきり意見を述べることは、自分の心を信頼する練習、自分の考えを支持する練習なのだ。

〜「文中の動き(アクション)」〜

・動詞は非常に重要だ。それは文中の動きであり、エネルギーなのだ。自分がどんなふうに動詞を使うか気をつけよう。

〜「エロティシズム ー 深刻なテーマ」〜

・落ち着かない時は部屋を見まわして、小さな、具体的なものから書きはじめよう。例えば、受け皿にのったティーカップ、リンゴの薄切り、あなたの赤い唇についたオレオ・クッキーの粉…。

・文章をあれこれいじくりまわさないで、手を動かしつづけよう。

〜「自分の町を観光する」〜

・作家の仕事とは、平凡な物を生きいきと輝かせること、ありふれた存在にそなわる特殊性を読者に気づかせることなのだ。

・物書きは、田舎から初めてニューヨークにやってきたおのぼりさんのようなものだ。ただし、実際に田舎を出ると言うことではなく、自分の住む町をニューヨークに来た観光客の目で見るのだ。そして自分の人生も同じように見はじめる。

・ごくありふれたものについて書けるようになろう。古いコーヒーカップ、スズメ、市バス、薄いハムサンドに敬意を払おう。

〜「どこでも書ける」〜

・とにかく書く。人生を肯定し、生きつづけ、しっかり目を見開いていよう。書いて、書いて書きまくるのだ。

・そもそも完全など存在しない。ほんとうに書きたいと思っているのなら、行く手になにが立ちはだかろうと書かなければいけない。完璧な環境、完璧なノートやペンや机などは存在しないのだから、柔軟な姿勢を身につけることが必要だ。ふだんとちがった状況、別の場所で書くことを試みよう。例えば電車やバスの中で、あるいは台所のテーブルにすわって書いてみる。ひとりで森に行って木に寄りかかり、すぐそばの川の水に足を浸しながら書いてみるのもいい。砂漠の岩の上で、家の前の歩道で、ポーチで、玄関で、車の後部座席で、図書館で、立ち食い食堂で、路地で、職安で、歯医者の待合室で、バーの椅子で、テキサス、カンザス、またはグアテマラの空港で、コーラを飲みながら、煙草を吸いながら、ベーコンとレタスとトマトのサンドウィッチを食べながら、あらゆる状況で書いてみよう。

・書くことに没頭すると場所などどうでもよくなる。完璧とはそのことなのだ。どこでも書けるということがわかると、自立感と安定感がみなぎってくる。ほんとうに書きたいと思っている人は、なにがあっても最終的には、書くための方法を見つけるものだ。

〜「もっと先へ」〜

・言いたいことを言い切れたと思ったときも、もうひとふんばりして、その少し先まで進もう。書き終わったと思っても、実はまだ「始まり」の崖っ縁である場合だってある。たぶんそれだからこそ、そこで終わりと決めてしまうのではないだろうか。だんだんこわくなってくるのだ。私たちは生々しい現実にタッチダウンしようとしている。力強いものが出てくるのは、たいてい書き終わったと思った地点の先からだ。

〜「慈悲のめばえ」〜

・いちばん恐れているものとは、えてして自分の夢に近づくために克服すべき最重要課題である場合が多い。

〜「新しい瞬間」〜

・成功や失敗に翻弄されないようにしよう。どんな状況でも書きつづけること。

〜「即興詩人」〜

・けっしてあなどった姿勢で人に接しないこと。みんな真実の断片を求めているのだから。

・執着をすっかりなくしてしまおう。

〜「自分を信頼する」〜

・よいものは必ず表に表れてくる。忍耐が肝心だ。

〜「エピローグ」〜

・いちばん苦労したのは、書くこと自体じゃなくて、成功するか失敗するかという恐れを克服すること、最終的には、純粋な行為だけに向けて燃焼し切ることだった。

〜「著者インタビュー」〜

・モンキーマインド(せわしない心)に放り出されてはいけない。たとえば「必ずライターになるぞ!」と思ったとき、その決意には「でも、書くことじゃ食べていけないかも」とか「そう。それなら書くのはあきらめるか」という小さな声が決まってついてくる。「放り出される」とはそれに振りまわされることだ。この小さな声に始終悩まされても、やると決めたことはやろう。

*手書きで紙に書き写していた為どの章の物か分からないもの(多分最初の方)

・きちんと物を書くには真実を伝え、くわしく描写すればいい。

・あまり抽象的にならないように。ほんとうのことを正直にくわしく書くこと。

・詩の本を一冊選び、適当なページを開いて一行書き写し、そのあとを自分の文章で続けてみよう。私の友人はこれを「ページの外で書く」と呼んでいる。素晴らしい一行から書きはじめるのは役に立つ。

・書きはじめるための自分なりの方法を決めておくことはたいせつだ。さもないと、まず先に皿洗いをしなきゃとか、書くことから自分の気をそらしてくれそうなものが最優先されかねない。黙って腰を据えて書かなければいけないときが、いつかはやってくる。書くことは、たしかにしんどい。しかし、書くという作業はそもそも、とても単純で地味なものなのだ。それをもっと魅力的にしてくれるようなからくりは存在しない。私たちのせわしない心は、書くよりはおしゃれなレストランで友達とエゴの抵抗について話したり、書けないという問題を解決しにセラピストのところに行きたがる。私たちは単純な仕事を複雑にするのが好きなのだ。禅にはこんな言いまわしがある。「話すときは話せ。歩くときは歩け。死ぬときは死ね」。書くときは書きなさい。罪悪感、非難、力づくの脅迫などと戦うのはやめよう。

・私はひと月でノートを使い切るようにしている。質についての基準はなく、量だけが問題だ。どんなくだらない内容でもかまわないから、とにかく一冊を埋めること。月の二十五日になってもまだ五ページしか書いておらず、月末までにあと七十ページ書かなければならないなら、残りの五日間で必死に挽回しなくてはならない。

・あなたにも自分に合ったいろいろなやり方が編み出せるはずだ。いずれにせよ、書けなくて罪悪感を感じ、その結果書くことを避けるようになり、プレッシャーが高まり、また罪悪感を感じる、といった悪循環だけには陥らないでほしい。書く時間になったら、ひたすら書くこと。

ゴールドバーグさんの言葉を打ち込みながら改めて、名言満載の本だなと思った。書くことが好きで、まだこの本を読まれてない方、是非一度読んで見てください。何かに取り憑かれたように無我夢中で読んでしまいますよ。

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