言の葉を楽しむ①:「静謐」
こうして書いていると心が落ち着く。
頭の中にある混沌がスッキリと整理されていくことで、だんだんとカタチになってくるからだ。
安心。安寧。心の静寂。
どの日本語も美しい響き。こうして〝母国語として日本語を理解できる〟のは、この国に生まれてよかったなあと思うことのひとつでもある。
「静謐」
インスタで素敵な写真を投稿して、いいねをいただいたり、「センスあるね!」と褒めていただけるのも嬉しい。私だって人並みに承認欲求はあるから、外見とかファッションとかそういう表面的な部分を気にしたりもする。
でも、もっと内面的なもの。
表面的なつながりは、一時的な承認欲求は満たせるけれども、結局虚しさを感じてしまうことになる。
だから「スキしたらスキし返さないといけない」なんて全く思わないし、相互フォローの必要性も感じない。「この人よく私の記事を読んでくださるな、どんな方だろう」と気になることはあるけれど。でも別に、そういったやりとりがある程度続いてから〝フォローする〟でいいじゃない。日記のコメントとか掲示板でやりとりし合ってからフレンドになる。そんな昔のSNSみたいに。
それはさておき、この noteという場所にはなんとなく、言葉を大事にしている人や言葉が好きな人が多いんだろうなあという印象を受ける。そしてそういう人たちの生み出す言葉に触れることがたまらなく好きだ。なぜなら私は常に〝言葉〟を欲しているから。
そうした中で、時たま同じ心の種を持っていそうな方々を見つける。そういう人たちの言葉を読むと、ぽっと心が和らぐし癒やされる。十人十色の多様な世界で、孤独じゃないことを教えてくれるから。だから私も誰かの心の奥にそっと灯火をつけられたら幸せだなあと思う。
過去の投稿でも紹介してるけど、
好きな言葉なのでもう一度。
古今和歌集の仮名序より、
やまとうたは、
人の心を種として
よろづの言の葉とぞ
なれりける。
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