【エッセイ】泣いてしまう理由は
私は、時々なにか起きたわけでもないのに涙がこみあげてくる時がある。私はと書いたけれど、きっと皆そういう時はあるのだろうと思う。
「なにか起きたわけでもないのに」というのも嘘か。
それまでに溜め込んだものがあったのか、これから起きる直感なのか、今流れている音楽が無意識に思い出させる記憶なのか。
なにかは起きているのだろうと思う。
私は色々と自分を分析しすぎる。
数年前までは涙がこみあげてくる理由をよく探した。なにが起きたのかを突き止めるまで探した。
答えはスッキリするくらい「そう!これだ!」というときもあれば、違うような気もするけれど他に思い当たらないからこれだろうというときもあった。
違うような気がしているときは、認めたくないだけなのかもしれないし、本当に違うのかもしれない。突き止められなかっただけなのかも。
何度も何度も突き止めていくうちに、そうやって答えを出すことに物理的に時間を割けなくなったのもあるけれど、無理に答えを自分に強要することが悲しくなってしまった。
だから今はそっとしている。「理由なんて誰にも説明しなくていいから好きに泣きな」そういう気持ちで、自分が泣いてしまう理由を探るのをやめて見守っている。
そうすると、不思議だけど数日経ってから「本当はあれが悲しかった」「あの時悔しかった」と思いつく。
本当は、その時の感情のきっかけがなにかその場でわかった方が無駄に感情に呑まれなくて済むとは思う。
でも私は結局感情的な人間で、感情に呑まれることを心地よく思っているところがある。
少しの間感情に呑まれる時間を自分に許して、そっとしておく方が私は本音を言える。それは小さい頃からそうだから、放って置いてもらった方が問い詰められるより本音を出しやすいから。
小さい頃から何も変わっていないような気がして必死で変えようとしてきたけれど、私はこれでいいと思うようになった。
自分くらい自分に許してあげられなくてどうする。だから「理由なんて説明できなくていいから、誰にも説明しなくていいから泣きな」って。
泣いてしまう理由は、自分にだってわからなくていいよ。泣きたいんだもん、涙がこみあげてきたんだもん、理由はそれで充分だよね。