合間を縫って
蒸し暑い日々に、子の泣き叫ぶ声が響く。
先日の日記とはまた異なって(思えばあのころから調子はよくなかったのかもしれない)ものすごく最近泣くようになってしまった。月齢を考えても知恵がついたり、歯が生えたり、季節のことを含めば汗疹もできたり、色々と大変な時期である。後追いをするにもまだそこまでは動けず、けれどけがをしそうな場面にひやひやしてサークルも設置したのでそれも気に食わなかったりするのかもしれない。
元々、子はあまり泣かない方なので育児参加をしてこなかった人々からは「楽そう」のようなことを言われたりした。楽なものか。人を育てるのが楽だったら地球は今と違う惑星になっているんじゃないかとすら思う。
それが今は8割不機嫌で、泣き叫んでいる。気の毒という気持ちは一応まだあるのだが、こっちが泣きたくなるというのもよくわかる。
こういう時に母親にラインをすると必ず早めに返してくれるし、付き合ってくれる。「人生迷い中か~」「あともうちょい」「昨日はその後寝れた?」等いろいろ声をかけてくれる。この孤独な戦いを知っているのだろう。きっとそうしてほしいと思っていたことを彼女はしているのだと思う。もしかしたら、私の祖母が母にしてくれたことをしているのかもしれない。
泣き声は聞いているだけで疲れる。
意外と聞き流せないものなんだなあと思う。
他人のネガティブな悪口や極端に後ろ向きな吐露を聞いていると気がめいってくるが、そういう感じにも通ずるところがある。
これはいつか終わるのだろうか。
なぜなのか理由もわからず、わからないままでいいから終わってほしい。
そんなことを思ってぎゃんぎゃん泣いている子をしり目にnoteをひらくと、かつて別名義での日記を本にしていただく機会があり、それを取り上げてくれている記事を見かけた。自分の書いたものを読み返すのは体育の運動用マットの下に入ってそれこそうぎゃーと叫びたいときが多いのだけれど、自分が書いたのだったっけと思うような言葉や気持ちが書かれていた。それに対して肯定的にコメントを寄せてくださっていたことも嬉しかった。まあそれが紆余曲折あって今やこんな感じなのだが、私はまたあんな風に言葉を紡げるんだろうかと思う。この名義になってから子育てをしているのもあるがコミカル寄りになってしまい、頭の中でにぶってしまったものがあるなあとさみしくなったりする。名義を変えることになっていなければまた違ったんだろうけれど、その未来はもうないわけで。
何が何を失くしてしまったのかわからないまま、その頃の自分がほんのりとうらやましくなった。
そろそろ後ろの子の相手をしてこようと思う。