まっさらな色にこそ影を
30分だけ、と決めてパソコンを開く。
今日は珍しく昼間から綺麗なピアノBGMを流している。水の音も聞こえて心地がよかった。普段の日中は天気やニュースも聞きたいのでラジオをつけているが、毎日だとちょっと耳に詰まってくるのだと気づいた。
昨日は実家に子を預けて私用に出かけた。最近実家に子を預ける頻度を敢えて増やしているのだが、夏の暑さと電車の寒さがたたみかけてくるのが肉体的に辛い。急すぎる寒暖差は幼い頃から苦手で、戻してしまうこともあったのだが、大人になったらさすがにそこまでには至らなくなった。けれど出かける間際に父親に追いかけられ怒鳴られたのもあり、目的地に着く頃も私の体は震えていたようで心配されてしまった。いい年をして親が怖いとは言えなかった。
私用をすませた後、カフェでテイクアウトをしてほしいとたまたま実家に同時に訪れていた兄妹に頼まれたのでオーダーをしていた。
じわじわとカウンターの横を詰めてくる客がおり、横にズレながらオーダーを続けていると、突然子どもとその母親が綺麗な発音でアイスクリームを頼み始めた。横入りどころか視界に入ってないのではないかと思うほどだったので、店員も驚いてお連れ様ですかと尋ねてきた。
制止させられた後も私がしどろもどろ頼んでいると、スマホを店員に突き出していた。おそらく翻訳だ。何を言っているのかはわからない。
私の前と私、そのあとにその親子はオーダーが出来上がる。色々な人を押しのけてカウンターの真ん前で品物を待っていた。私の前の人のオーダーが届くと、受付番号の照合を求める店員のことも見ずに商品を受け取って開封していた。店員ももはや悪いと思っている様子もなさそうでその親子から商品を奪い取るようにして本来の客に商品を渡していた。
短時間でのあまりの出来事に面食らってしまった。
せっかくの時間が、と思いながら店をあとにした。
実家に預けると刺激が多いようで夜に子が泣くことがある。
おそらく疲れるのだ。疲れすぎると夜泣きすることがしばしばあった。
昨日は珍しく少し長めに泣いていた。抱っこしないとかな、とモニターを覗いたもののなぜか寝っ転がったまま泣いており、室温も問題なさそうなので暫く様子をうかがっていたら自力で眠りについた。一晩だけ、私が一人で夜泣きの相手をして全く泣き止ませることができなかった夜がある。あの夜から私はますます子の夜泣きがすると心がざわっとするようになってしまった。母親なのに何を考えているのだと思いながら。
私にとって「怖い」と感じるものがいる空間に、「怖いもの」をまだできる限り取り除いてあげたい存在を置いていくことは、それこそ怖いことであった。そしてその夜に泣かれれば、「置いていかなければよかった」という後悔と「泣いているのが怖い」という恐怖が折り重なった。
なんだか色々なことが重なった日だったと思いながら、その日は旧友と定期的な連絡会をする日だったのに1時間以上遅刻して電話をかけた。もう今日はそんな気分じゃないから縮こまっていたい、と思ったけれど、むしろ人と会話して頭の中を流した方がいいかもとも思った。
今日の(外国人とのやり取り以外は)、腹の子が生まれた後の心配とリンクするところが多かったなと友人と話しながら思った。腹の子が生まれて生活リズムや立場の変化で不安定になる子のこと、それが自分のせいに思えてしまうこと。里帰りでリタイアした父との時間が増えること。そもそも一人でも手一杯で同居人ともぎすぎすしたりするのに二人だったらどうなるのか。
こんなにいろんな心配ごとがあったのかと、なんとなく自覚はしていたものが形になり、いたわるか自分を、と少しだけ思えたのだ。友人も家事代行とかシッターさんとか色々課金しようよと言ってくれたので、実際それを利用しないにせよその気持ちに少しシフトしようと思えたのは大きい。
一人目の時よりも早く予想外に授かったのもあり、また一人目のここまでの1年の記憶が新しいのもあり、嬉しいというよりは脅威だな、という気持ちの方が今は大きい。もう一人いたらいいなとは思っていたので望まないそれではないのだが、胎動を感じたり顔を見るまではそんな感じなんだろうなと思う。
目の前のことでいっぱいなので自分が妊婦であることの自覚と胎児をいつくしむ?心が薄い。そのうち気持ちが体に追いつくだろうか。
とりあえず気持ちを落ちつけたくて落ち着いた音楽をかけた。苦手な人との時間をどう過ごすのが負担が少ないのか、自分のために外注できるものがああるか、疲れない程度に調べてみようと今は思える。
まず子が穏やかに眠っている間に、自分のために自分の時間を作ろうと思ってパソコンを開いた。分厚く翳る初夏の曇天を今は優しいものに感じる。