美味しすぎない「チェンマイヌードル」
縦に停めるべきなのか、横に停めるべきなのか。一台がギリギリ停まれるぐらいのスペースしかないのだから、別にどちらでもいいのだろうが、それでも何となく気を使う。
おそらくここは「喫茶エルガー」。でも、その入り口すらよく分からない。看板はある。しっかりと、そして異様な雰囲気でオープンと主張してはいる。あの茂みの向こう側に店がありそうではあるが、しかしどうにも自信がない。だから駐車の縦と横にも気を遣ってしまうのだ。
腰を屈めて前に進む。数メートルほどもない茂みが、まるで冒険のように感じる。程なく建造物が見えてきた。多分ここがエルガーで間違いない。あとは無事に帰宅できることを祈るのみだ。
店に入ると、白髪のマダムが機嫌よく部屋に通してくれた。12時を過ぎているのだが、どうやら我々が今日はじめての客らしい。照明を灯し、BGMが鳴らされた。パッヘルベルのカノンだ。どこかの芸人が「悲しいとき」の理由を叫ぶときに流れる曲だ。
雨上がりの紫陽花を眺める。オーディオの音質が必要以上によい。運ばれてきた水は生ぬるい。メニューに当店一押しと書かれている「チェンマイヌードル」をオーダーする。シナリオで既に決められていたかのようにオーダーする。
おそらく旦那さんなのであろう。執事のようにも見える男性が、チェンマイヌードルを運んできてくれた。メニューには「うどんに似た太めん」と書かれていたのだが、見る限りは日本のうどんだ。食べてもうどんなのだが、世界にはまだまだ知らないことがあるなと感心する。
サラダの上にはイクラが降り掛かっている。いや、よく見ると黄色や白のイクラもある。味がない。食感もない。そう言えば、こんな知育菓子があったなと懐かしむ。旦那さんが、こちらの様子を伺うようにふらふらと歩いている。ココナッツが効いたタイカレーを食べ汗をかく。タイの太めんは、食感も喉ごしも、やはり、まるで、うどんのようだ。
悲しいとき。悲しいとき。
うどんに似た太めんが、間違いなくうどんだったとき。うどんに似た太めんが、間違いなくうどんだったとき。