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【言葉】景山民夫(放送作家) ファンとマニアのちがいについて
⑴ファンとマニアは違う。ファンは常に自分の中に核となる嗜好を持ち、それに裏づけられた暖かさと冷たさを持ち合わせた視点で芸をとらえる。
マニアは甚だ自分勝手であり、芸そのものの持つ背景は見ようともせず、現象面だけをとらえるのにやっきになる。
⑵ファンは、常に自分を楽しませてくれる存在として芸人をみている。通人は自分を正当化し自分の見識をひけらかす手段としてしか芸人を見ない。
“なんとなく”で使い分けてしまうような似ている言葉を、自分の経験値と思考で定義することのかっこよさ。この文章にふれたときにそう感じました。
たとえばそこに、みる・たのしむ・おもしろがる対象があったとする。鑑賞には感情が介在し、その対象と自身の関係を、どのようにとらえるか。景山民夫はとらえ方のちがいを「ファン」と「マニア」、二項対立のように分けています。ここではふれませんが、景山民夫のなかで思うところがあったのでしょう。
ここからは個人の考えです。現時点では、自らのエネルギー・関心が外へ向いているのがファンであり、内に向いているのがマニアなのかなと思います。どちらがよくて、どちらがわるいということでもない。
それはファン的であるか、マニア的であるか、あくまで矢印がどちらに向いているか。スタンスのちがいだと思っています。
できることならファン的なアプローチを常にしていきたいなあ。たとえば吉本の会長である大崎さんはかつてテレビ東京の「カンブリア宮殿」に出演したとき、このようなことをおっしゃっていました。
“芸人のネタ見せでは、よしあしだけではなく、その芸人が「何をおもしろいと感じて、そのネタをつくっているか」、ここを見るようにしている。”
表現のその先にあるものをつかもうとする姿勢が参考になるし、鑑賞を深める方法の一つとして有効だと思いました。もしも景山民夫が言うところのマニア的なアプローチであれば、芸そのものの持つ背景は見ようともせず、現象面だけをとらえるわけです。現象面だけではもったいない気もします。
最後に景山民夫って誰?という方で、もしも興味を持たれましたら、下記の本を読むことをオススメします。小説家、エッセイなど多分野で才能を発揮した方ですが、放送作家としての顔を知るために自分がまず読んだ2冊をひとまずシェアします。
そして冒頭の文章は実は小林信彦の「笑学百科」に登場します。たしか後半部分でございます。笑いやテレビバラエティの歴史にご興味のある方にはきっと合うはず。オススメです。
というわけで以上です!
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