見出し画像

もしかして、「すること」が目的になっていない? @HNK_715

おはようございます、デザイン事業部のほのかです。

毎日、TwitterやInstagramなど、SNSを開くと、大量のコンテンツが目に飛び込んできます。

受け手のないクリエイティブは、誰にも届かないし、響かない。

ミーティング中、制作物に対するフィードバックで聞いたことばです。
ラブソルでは頻繁に耳にすることばです。

でも、私はそれを聞きながら、なかなか自分のものにできていませんでした。

みなさんは、お仕事や依頼を受けたとき、考えるべき大切なことってなんだと思いますか?
たとえば、イベントで写真撮影を依頼されたときや、イラストを描いてほしいと言われたとき。
求められていることは、「写真を撮ること」だったり、「イラストを描くこと」となので、それが満たせていれば良い、そう思ってしまうかもしれません。

(私も何も考えず、頼まれたことをそのままやってしまったこと、何度もあります…!)

しかし、ここで考えるべきもっとも大切なことは「なんのためにそれをするのか」という点です。
その写真は何のために撮るのか。
もしかしたら、イベントのレポートで使用するのかもしれないし、当日の参加者にお渡しするのかもしれない
考えれば考えるほどいろんな想定ができます。

すると、その用途やシチュエーションによって、どんなものを用意すればいいのかが変わってきますよね。
そのシチュエーションまで想定して、出来ていることが一番理想的です。

では、それが考えられていなかったらどうなるのか。
私も実際に、十分に考えが及んでおらず何度も失敗を経験しました。

コミュニティ内でビジュアルレポートをしたときのことです。

ビジュアルレポートとは、イベントやカンファレンスなどを、ビジュアルをメインにレポートするものです。
(↓こんなものです。)

はじめにつくりだしたころは、まさに「なんのためにつくるのか」というところまで考えられておらず、ビジュアルレポートを「つくること」が目的になっていました。

すると、きちんと意図されず出来上がったものは当然、人の心には刺さりません
タイムラインの中で、ただ流れていく自分の制作物。
どんな人に見て欲しい、何を伝えたいという考えがなく、受取人不在になっているのです。

このとき、世の中で、人の心に刺さるクリエイティブは、届ける対象や、見た人にどうなってほしいのか、というところまできちんと意図されて、制作されているのだと、改めて気づかされました。

SNSで見ている人はいるのに「いいね」はつかないという、悲しい反応。
つまり、タイムラインで流れてはくるけれど、タップしてみるほどではなかったり、反応するほどではないということ。
これって聞こえているのに無視されているみたいな感覚で、めちゃくちゃ悲しいんですよね…。
しかもそれは、残酷にも作った自分だけがそっと気づくのです…。
どんなに一生懸命つくったものでも、受け取ってもらえないと悲しくて、作る意味が分からなくってしまいます。

見た人から反応をもらうためには、つくることを目的にするのではなく、一人でも多くの人に何かが刺さらないといけない。
今までも一生懸命取り組んでいたのに、力をかけるべき方向が違ったのだと思います。

でも、どうせ一生懸命やるなら何かしらの反応が欲しい!
そこからは、ビジュアルレポートを「つくること」を目的とするより、「誰に届けるか」「何を伝えるか」「なんのためにつくるのか」というように考えるようになりました。

そうして制作したものは、見た人の反応も前とは違う、コメントがついたりと何かを受け取って、感じてくれた、という感触が確かにあったのです。
そして、制作する前にも、「切り口」を考えてからつくりはじめるため、全体としてぶれることなく作り上げられます。

画像2

そして、制作する前にも、「切り口」を考えてからつくりはじめるため、全体としてぶれることなく作り上げられます。

冒頭でも紹介した、「受け手のないクリエイティブは、誰にも届かないし、響かない。」というフィードバックのことばは、まさにその通りで、なにをするにしても、届ける対象や、何を届けるのかというところまで考えなければなりません。

しかし、人は急に出来るようにはならないので、普段から何に対しても、そういった意識のもとで、お仕事にとりくんでいきたいと考えています。
「すること」を目的とせず、なんのためにするのかを当たり前に考えられるように。


野元萌乃佳
▷SNS…Twitter

画像1

<ラブソルへのお仕事依頼はこちら>


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?