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日本労働運動構造改革!

 よく私が言って耳にタコができる方もいらっしゃる方も大勢ですが、今日もそのテーマで話したいと思います。あらゆる団体の担い手不足。PTAや町内会だけではなく労働運動も同じような課題を抱えます。そしてこちらが苦労して勝ち取った事をフリーライドしてしまう人がいる事で、皮肉にも組合の求心力が落ちていくと言う事は大問題です。20年前は当番制に近く、ユニオン・ショップ制度の名残残るなかで新入社員は全員組合員になりました。私の組合の入組もそうで、当時SNSがあればまた「反労組」の人に文句をつけられていたに違いないですが、今回はその話が主軸ではないので置いておきます。私が役員になった頃から、ユニオン・ショップ制度は中小単組では徐々に揺らいでいき、組合に入る事が自由化されたのはある意味改革の成果であったのかもしれませんが、組合執行部はどんどん新陳代謝がなくなっていました。ある会社では、当番制で1番仕事が出来なさそうな人を専従の委員長にし書記長以下は非専従だけど慣れた人が固定化する事で色々乗り切っていました。すでに80年代や90年代に現在の組合運動の低調化の兆しは見えていたのですが、それに対策が打てなかったのも事実。組織として大いに反省論もありました。
 2024年現在もはやどんな人でも専従の委員長は嫌がり、まだ熱意がある人が非専従で仕事の合間を縫って10年以上役職を入れ替えて同じ人が運営している単組も多いです。自力で執行部が組めない単組は総務部長に頼んでいるのだとか。経営側も今更労組が無くなれば、途端に余計な手間を増やしてしまうため「物分かりよく」手伝ってくれます。組合側は間違いなく「恥」ですが。今回私は役員を退任しましたが、まさかの本人からの志願があり思いがけず後継者ができたからです。個人的に非常に嬉しく感じますが、全体を見渡してみればそうなっていない単組が多く、私が何度も言っているようにそういう労組をまとめるはずのナショナルセンター「連合」自体が産別主義の中で、そのリーダーシップを発揮できず単組は役員を揃えるだけで力を使い果たしてしまう。活動量が減り、組合員も不満に持つ。色々と意見はありますがフリーライドは頭が痛い問題です。組合員が組合に入っていない人との違いが分からないとよく言われます。組合はあくまで自主的な運動なのだから、それならこっちを手伝ってと思わないのではないですが、現在の状況ではそれも頼みにくいです。昭和の労働運動の常識と現在の労働運動の現状が大きく変化しました。

忙しすぎるのではないですか?

 なぜ組合活動はびっくりするほど低調なのか?大きな理由として組合活動は勤務外に行い、その日当は組合費で出す。と言う昭和の労働運動では当たり前の話がネックになっています。私もこの一文は基本的に賛成です。自主的なものだから勤務外で行うべき。しかし子育てがある、介護がある、プライベートの時間だって確保したいと言う現代人の様々な負担を考えると時間的コストが相当かかる組合活動に参加するのは足が遠のくでしょう。また本業である労働自体が深刻な人手不足と管理職の事なかれ主義で労働時間が曖昧になり、生産性も落ちています。労働生産性も労働者に負わせるものではなく、管理者の責任不足です。ただその管理者もさらに上長の事なかれ主義に追従せざるを得ず、結果として労働時間ばかりが長くなりこうした労働組合の積極的な参加率は低迷していきました。組合役員だった私も無理には誘わなかったです。レク活動すら、若い組合員の参加率は極めて悪く同じメンバーで同じようなイベントに参加すると言うことも常態化しています。これが他の単組を巻き込んでレク活動ともなれば、なんとなく参加率は上昇しそうですが私のような共済担当、労金推進委員のようなどちらかと言えば組合内でも横のつながりが重要になる役員以外、委員長や書記長が他の産別と会議で交流があるぐらいで「連合」と言っても、精々自分達の所属産別内の単組レベルで交流が限界です。その単組の交流もほとんど無くなってきていますが。こうした多産別との交流において選挙は非常に重要で、正直私も選挙活動自体はやりたくないタイプですが色々と他業種の人の悩みを聞くうちに自分にも得るものが大きかったです。政治運動とは別に組織活動にとっても選挙運動は案外重要なもので、単組レベルの運動においても職種が違う人から見た第三者の視点は相当大きなものですが、もはや組合自体が存在感を希薄する中で、手段を選んでいられる段階はとうにすぎました。すぐにでもユニオン・ショップ制に戻すのも有効な手段ではないでしょう。昨年起こった函館バス闘争のように、経営陣が本気になって組合運動を叩き潰し、従業員団体に入れ替えればこれこそ労使協調の名の下の階級壊滅戦です。一度オープンになった組織を再び閉じようとするのは悪手だと考えています。

親労組政権樹立へ

 アメリカのバイデン政権が労働組合から評価されているのは、資本主義の総本山で特に低迷激しかった労働組合を重視する政策に転換したためです。共和党は労働組合に対して労働権法などむしろ労組の存在をより一層弱体化させ、それを助長するような政策をとりましたが、バイデン政権は団結権保護など積極的に政府が労組を支援する政策をとりました。
 グローバル資本主義において労働組合が弱い国の方が労働分配率が下がり、格差はもう埋められないぐらい広がったと言う認識があるからです。アメリカ民主党は労働組合の組織率を高めた方が経済成長をし、一時的な悪化しても回復力が高くなるとクリントン政権時の財務長官も認めています。アメリカ財務省の報告書「労働組合と中間層」にもそれが詳しく書かれています。大まかな事は労働政策研究•研修機構のホームページに掲載されています。この報告は連合もそうですが、単組レベルでも衝撃を受けました。
 ドイツでは組合費の税制優遇措置や労働協約の適用を広く非組合員にも政府機関が中心となって波及させ、組織化しやすい土壌を作り始めています。日本と労働権についてはさほど変わらない韓国においても、一部の役員限定ですが就業時間中に組合活動をしてもOKという法改正が為されています。こうした就業時間中に組合活動は少し前までは「ヤミ専従」と言われて攻撃されました。もちろんこれだけ時間的コストを削減されたなら組合役員は結果を残さないといけません。ただその前提となる政府の支援が現状の自公政権ではゼロで、少しでも組合運動についての改革案が出るとなれば、与党との交渉があまりにうまくいきすぎると私達の政治的な立場はどうなるのか?と本気で悩んでいた役員もいましたが、杞憂でした。もとより組合運動を単純に票固めの政治運動集団としか見れない人が多いなかで特にその傾向が強い自由民主党と言う団体は、内閣に元組織内の人間が引き抜かれたと言う衝撃はそれなりにハレーションを巻き起こしましたが、継続力がなければ続かないものです。1ヶ月も新しい話題がなければ、それで終わり、多分自民党内には現在連合と連携の「れ」の字もないでしょう。そんな事やる余裕がない、普段の支持者相手でいっぱいいっぱいと見受けられます。
 労働運動としては全ての労働運動は全部連合が代表されると思い上がった考えはないですが、それこそ労組活動を推進してくれる人を本来は応援したいわけで当然それは付き合いのある人がまず候補になります。連合がまず口酸っぱく立憲と国民民主党は合流してほしいと意見を言うなら、だいぶかつてと状況が変わったとは言え日本の労働運動の源流を理解し、ちゃんと推し進めてくれるのが非常に心許ないとは言え旧民主党の勢力しかないからです。都民ファーストの件で一部連合東京の判断を差別主義者に加担した組織と言いますが、都民ファースト自体は問題ある党首を抱えていても別に同盟が主とは言え総評や中連、新産別の労働運動に関して流れを汲む地方議員も多く一概に民社党の復活を求めている状況では断じてありません。木を見て森を見ない人達はすぐに木だけを見て判断しようとしますが、当然木ばかりか森を見ても葉っぱの一枚一枚まで見る事はできません。これは組織においても個人においてもです。日本共産党と維新の会は拒絶し、自民党はまだ話になりそうなので交渉ぐらいはできる。私達は闘争も辞さない団体ですが、それは交渉の延長線です。と言ってもあまりに話が脱線するのも本意ではないので、これぐらいにしておきます。なので分かりやすく断言すれば労働運動を保護する政府を今後は連合のナショナルセンターとして目指す。党派性あれど、産別の産業政策を踏まえつつ時の政府が労働運動支援のための政策を実現できる政党を応援する。現時点ではそれは立憲、国民の両党しかなくその両党が少なくともちゃんと政策に合意できなければ親労働組合政権は成就しないと考えます。

民主党は変わろう。もっと地べたをはって。

 働きやすい職場を作る事は一致していても組合運動強化のために、政権を獲得したらその組織強化支援を約束する人は案外出てこないのが立憲民主党、これは国民民主党も同様です。労組を重要な支援団体、意見を出す団体で政策に反映しようとする努力は感じますが、組合運動の強化となればむしろ後ろ向きの人が多いのです。労組依存と思われると選挙にマイナスか、もしくはそもそも運動論自体を軽んじているのか分かりません。政治家と言うコストがかかる職に就いておきながら、運動を維持するにもあらゆるコストに直面するので、組合運動を積極的に推奨するような社会を目指すという言葉は現在のところ誰も聞かれていません。言及する人もいない事はないのですが、そもそも連合自体産別主義なのでその政策自体産業論ばかりになってしまうのは非常に問題であると思います。産業論の個別の事由も当然尊重して然るべきですが、もっと連合というよりナショナルセンターの権限が弱すぎる現状を憂いてほしいと思います。結果産別主義の悪い面ばかり目立ってしまい一つでまとまれば意見もまだ集約でき、前述した通り他産別との交流も増え労働運動の幅が広がるのに政党は両党とも沽券があるのか差別化ばかり目立っています。形はどうあれ、労戦統一をしたのだから総評同盟以上の運動体を作り上げてほしいのですが、総評同盟の方が緊張感あったと言われる始末。連合の主体性は極めて低く、産別間のいわゆる「領土紛争」も調停できない有様です。労働運動全体の政策転換はひいては連合の主体性向上に繋がり、産別間との話し合いももっと充実させる事ができるのに運動についての支援は皆口を閉ざすのです。それこそ首藤若菜教授が国会で政府による労組支援は必要だと訴えているのに関わらず。私達の努力不足もありますが、政党の組織介入なんかしていません。そんな余裕があるところは産別にもないです。巨大単組ならあるのでしょうが。それを言い出せば、また話が脱線するので控えておきます。連合の批判者はある種宿命なものですが、政治的なものでしか取り上げられない。イデオロギーもない事はないですが、イデオロギーを乗り越えてようやく物事を達成できる運動になります。当然支援先の理不尽にはどんどん注文をつけていく。ハラスメントしかり、不当解雇しかり。民主党と言う政党はかつて総支部長と連合がいつのまにか仲が悪くなり、当然連合もやらかした事はあったのですが、全部何もかも労組が悪いと言われた時代がありました。そうした時代があったことをコロッと忘れ、昭和のようなプロパガンダを垂れ流す。右派においてもリベラル派においてもです。話は脱線しそうなのでここまでにしますが。
 現在立憲民主党の代表選が行われていますが、これもまた報道の仕方も編集次第で受け取られ方が違う点もあります。が、自治体議員との対談で地方の課題について全ての候補者が国政レベルの話に終始したのは残念です。それに対して特に厳しい追及もしない地方議員もかなり残念でした。国会議員と言う権威の前に地方議員は明確に下に置かれていると感じました。この有様でボトムアップと言われても、誰も信用しません。議員党であって大衆党ではない。私が枝野幸男を今一歩信用しきれないのはそう言う点です。自身の身の振る舞い方で同志を単純に廷臣にしてしまい、批判を許さない空気を作ってしまう。山本太郎より露骨ではないだけで、そうした気質は民主党出身者にはいつも感じています。左右関係なく誰にもね。野田佳彦も同様でしょう。泉健太ぐらい後発になるとむしろ中間管理職のような感想を抱いてしまい、どこの意見も取り入れようとして、全部できなかったと言う印象が強いです。これは立憲民主党が別に労組依存の政党ではなく、ある意味色々な支援団体が増えてきたと言うことの証左でもあり、組合から見れば頼りなく見えてしまうのもまた事実ですが。吉田晴美は出馬できただけで好印象でこれ以上求めるのは酷でしょう。そうするとやはり本命というかほとんど決まりである野田佳彦と対抗馬である枝野幸男は本人の政治的体質を変えていってもらうしかないですが、そう言う事ができればとっくにできています。これは何度も言っているように私も他の同志も「連合」か立憲民主党を選べと言われたら、皆連合を優先にする。それは組織票を束ねる団体は基本的に皆そうでしょう。イデオロギー的な価値観で応援する日本会議なんか珍しい方です。
 労働組合は自主的で労働者自身が行う運動です。ただ現在の社会において労働運動ばかりかそうした団体に参加する気運は下がり、結局硬直化した体制の弊害ばかりが目についてしまう。行政から改革を行う事で労働運動も構造改革が進展していくでしょう。それこそそうなれば私たちは組織改革を本気で進めるために大いに批判されながらもやり遂げないといけなくなる立場です。そう言う未来の方がよほど真っ当でしょうね。新自由主義の脱却は結局は様々な団体を組織化の応援する事から始まるのですから。こうした組織論ほどリベラル派を自称しても嫌がる人が多いです。そう言う意味においては中曽根康弘も日本新党も同じ思考で何も属そうとしないある種究極な個人主義を目指しているように感じます。その究極な個人主義を追い求めていった結果、雇用すら確保できないギグワーカーの勃興でしょう。あの労働形態が究極な個人主義の結果であるなら、私達はもっと皆で議論し合うべきなのです。組合はまず組合の枠組みで、それは町内会やPTAも同様でしょう。私にとってはもっとより、しがらみからの自由にと主張するのは「逃げ」に近いと強く考えています。


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