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ゲスト実習生

 第二次世界大戦の敗戦国ドイツは戦後の労働力不足に「ガストアルバイター」と言う短期契約の外国人労働者を数多く雇用しました。工業国ドイツでは、最初は南欧から中盤はユーゴスラビアから、最終的にはトルコから多くの「ガストアルバイター」がドイツで労働に従事し、かなりの人数がドイツに定住しました。故国に比べて安定的な社会保障と企業側の引き留め、実際稼働すればするほど労働者の所得が上がるドイツは「ガストアルバイター」達にとって安住の地に見えました。
 さて日本は第二次世界大戦前から渡航、強制労働の末日本を定住地と選んだ朝鮮半島、中国出身者の人達の労働問題はありますが、ここでは多くは触れません。無論、この事実についても歴史的な批判は受けるべきですが今回本筋ではないので、戦後に入国した外国人労働者のお話をしたいです。さて日本は戦後の復興に対して、外国人労働者に頼って運営されていないのは、日本史で教えてくれます。この都市部の労働力を供給したのは日本の農村地でした。かつては満州やブラジルに渡航していた農村部の人々は経済成長遂げる東京に多く流入したのです。「金のたまご」と言った若年労働者は都市部の企業にとって涎が出るほど欲しい長く利益に貢献してくれる人材として争奪戦が繰り広げられたものです。ただ70年代はじめでは、また労働力不足に陥り一部東京の零細企業において韓国、シンガポールなどの国から「研修」と言う名目で雇用されるケースがありました。そして当時一種の社会問題となったのは「看護婦導入問題」。無医村地域の外国人医師導入の際、看護婦も一部海外から雇用され名目は「准看護婦研修」で、70年以降100人以上の外国人看護婦が入国しました。そうあくまで「研修」と言う名目です。いつの時代も実態はどうあれ、用語を変えて本質を薄めようとする。さておき1967年の閣議決定で当時の早川崇労働大臣は「現代間では日本国内に外国人労働者を入れる必要がない」とし、これが76年まで政府の見解でした。変容したのは80年代。ある会社で外国人労働者の採用を大々的に報道されてから、一気に日本も「グローバルスタンダード」の大波に巻き込まれていくようになります。

変わる80年代

 一般企業に正規雇用は当時世界一の地位を手に入れようとしていた西武流通グループに外国人社員の採用を開始しました。政府の見解はこの時点においても「外国人でしかできない職種に限る」と言うものでしたが、最終的に6人が採用。日本語ができる事、3年働く事、専門的なスキルを持っている事が条件でした。その後神奈川県の半導体メーカーも35人の外国人社員を雇用します。
 この頃は一流メーカーで優秀な欧米出身の外国人を雇用する企業も数多くありました。何せこの時代は日本の企業が1番勢いがあった頃。当時勃興しつつあったコンピューター産業にも人材が供給されましたが、「入管法」ではアウト。しかし政府側として黙認し就労ビザを与えていました。こうした欧米系の人材は大企業がほとんどで給与面も日本人労働者より高い「高度な専門技術」を持つ人に限られ、外国人労働者の問題はさほど重要ではありませんでした。
 問題はプラザ合意以降に入国したいわゆる「じゃぱゆきさん」と言われたアジア系外国人です。観光ビザで入国し、そのまま滞在して就労するのでこれは明確な不法就労ですが、当時の日本経済はアジア諸国の国に富をもたらせてくれる国と映っていました。これは日本だけではなく、フィリピンの独裁者マルコス政権では海外雇用庁を創設し積極的に「出稼ぎ」を奨励したのですが、女性が就く仕事は80%がホステス、ストリッパー、売春婦で100%であり、希望を持って入国したものの選択肢が性産業しかないというものでこれは大きな社会問題になりました。男性は工員、土木作業員など人手不足で人材不足の会社でこうした不法就労は昭和末期でおよそ10万人からもしくは20万人になると言われました。ただこうした外国人労働者は首都圏や関西圏など都市部に限られ、日本の社会問題として扱うには規模が小さなものでした。
 ただなにぶん不法就労なためその総数もよくわからず闇の部分も多くあり、海外のブローカーの存在も大きく影を落としていました。不法なため劣悪的な労働条件や環境を呑むしかなく、事故死や餓死、急死などが当時の新聞に多く掲載されました。そうした事柄には腰が重かった日本政府も本腰を入れて外国人労働者の規制緩和が行われました。それは1990年に行われた入管法の改正でした。

失われた20年の外国人労働者

 90年の入管法では新たに「在留資格」をもうけ、その中には「研修」というものがありました。「研修」という形の就労であれば問題はないという事です。これは不法就労を受け入れないと一部産業は機能停止になり、地域経済は地盤沈下するという判断のもとに行われました。そもそも多くのアジア系が訪れたのは、海外の政府が海外で働く事を奨励し、日本は人手不足のために産業界に言われるがまま法律を改正した。ブラジルや満州の移民を奨励し、多くのトラブルもあった旧大日本帝国の全く真逆です。この経緯を見て労働者が悪い事は一つもなく、全ては無責任な移住政策と産業界に言われたので法律だけ改正し受け入れ体制は丸投げした日本政府双方にあります。この前提が理解できない限り、外国人雇用問題は語れません。さて入管法改正以降外国人労働者の数は激増し、毎年60から70万人というスピードで入国します。バブル崩壊でかつての景気は失われていきましたが、外国人労働者の数は減る事はありませんでした。と言ってもこの中でも半数が不法就労で、80年代のトラブルが必ずしもなくなったわけではありません。雇用する側も相手が不法で入国している事を知っているので、無理な条件を押しつけました。と言っても改正入管法は不法と知っていて雇うなら経営者も罰せられるのですが、世の中色々な人がいて、一度や二度の勾留ぐらいなら屁とも思わない経営者も多く、当然これには日本の黒社会が絡んでいるケースもありました。
 日本の長引く不況によって短期的に稼いで母国に帰ろうとしても、賃金は安く就労期間が長くなればなるほど外国人との地域共生は課題として挙げられるものが増えました。私は愛知県出身ではない愛知県民ですが、愛知にしか住んでいない人から言えば全てのクラスに外国人の子供がいたという事を話しており、子供が日本語を比較的短期に覚え、親の通訳をするという光景もよく見たそうです。東海地方は現在唯一の製造業大国ですが、こうした外国人労働力がない限り成り立っていかなかったのは事実です。私が初めて愛知に来た時は外国人の数の多さの圧倒されました。私の出身地はたまに中国人がいるぐらいで、日本語がペラペラだと正直気づかないくらいの人だったので、アジア系と言っても東南アジア、ブラジルの日系人と話す時は緊張したものです。
 この頃の外国人労働者も合法的な労働者、不法就労者、定住者ビザで就労する日系人の3つのパターンでしたが、法整備が整うにつれて不法就労者は激減し、いわば安定期を迎えこの時代に外国人労働者が右翼からバッシングを受ける事はほとんどありませんでした。なにぶん外国人労働者の働きがないと回らない産業も多く、また日本経済も小康状態のため大きな問題は起こり得なかったのです。時は経ち2010年代からこうした外国人労働者政策はまた変わっていきました。

労働運動はゲスト実習生の動員ができるのか?

 1993年外国人労働者政策にとってある重要な制度が誕生しました。「技能実習制度」です。元々90年の入管法改正で「研修」という名目の合法労働を認めましたが、それをさらに進めるのが技能実習制度です。これは一定のスキルを持った外国人が日本企業と雇用関係を結び従事する事でスキルアップを図るという制度であり、従事期間は2年改正され3年になりました。第4の外国人労働者として毎年数万人の技能実習生が日本に入国しましたが、在留資格の中に「技能実習」という枠が設けられた2010年。このあたりから技能実習は当たり前の制度として定着し、その問題点などは散々他の人も指摘しているので多くは語りません。単体の在留資格では「技能実習」が1番多く全ての外国人労働者の2割弱を占めています。人手不足の業界にとって、とりあえず「3年」は計算できる技能実習生はかつて「金の卵」を欲しがった高度経済成長の会社のように、人材の取り合いが始まっています。技能実習生は来日前はほとんどの人が何かしろ仕事をしていた人が9割以上を占めているので、私の知っている経営者は「外国人の方が素直でいい。日本人はやれハラスメントだとうるさい」というとんでもない暴言を公言していましたが、これは経営側にとって本音でしょう。とにかく仕事の改善点であるのでしょうが定着率が著しく低くなった。日本の労使関係者は重く受け止めねばならないです。
 さてここから1番言いたかった事を言います。私の友人であるオルグはある会社の組織化に直面し、相談者から「技能実習生に声をかけてもいいか?」という声かけに思わず考え込んでしまったという話を聞きました。万国の労働者よ。団結せよ!の原則では当然技能実習生にも組織化をお願いするのですが、国の制度で就労し、期限付き、会社で弱い立場なので、水面下でやっている労組組織化においてかなり難しい立場になるという判断から技能実習生の声掛けは後にした方がいいというアドバイスをしたそうですが、かなり悩んでいました。外国人労働者の組織化は難しく、もし事を成すなら日本人には日本人労働者の組織化に着手してもらい、技能実習生には別ルートのオルグが必要で当然経営者に露見されるリスクが高くなります。なので多数派を形成してから改めて技能実習生にも声をかけ、労組の一員となってもらうという方がプロセスとしてはリスクヘッジができたものですが労働運動に携わるものとして明らかに労働者なのに最初は除外する選択肢が本当に正しいのか?悩みどころだと思います。技能実習生は会社が連れてきた人材でもあるため、こうした水面下の動きを経営側に通報するリスクもあります。これは技能実習生を非難するものではなく、人間誰しもが立場というものがあり私がその立場なら、いくら劣悪な条件だったとしても自分の立場を守るため担当の役員に話してしまう事もあるかもしれません。外国人労働者の組織化はそれだけ慎重な対応が必要で今ある外国人労働組合はそうした大変な組織化を成し遂げてきたという実績があります。そのためには外国人労働者自身ができれば自分で労働組合にご相談していただけると、色々知恵を授けられるのですが、労働運動はグローバル化に対しまだまだ改善点が多いと実感します。
 これはあくまで日本の問題ですが、海外の移民問題もこれにスケールを大きくしただけで本質は変わりません。移民が国民の雇用を奪っていると言いますが、そもそも人気がなくなった職種には移民が就労し、そのような職種は人は嫌がるけど無くならない仕事なので、失業率が高くなっても雇用に留まる事ができ本来なら解雇されたある意味安全弁なそうした3Kの職種すらありつけないのが実際起きている事で、明らかに移民労働者が急増しかつての街並みが変わっていく不安感から極右が勢力を伸ばしているのでしょう。別に何の事はないそれが「資本主義」というもので資本主義は別に民族主義ではなく、人件費は極力ピンハネするために同じ労働力なら安い方を使うというだけでそれ以上もそれ以下もありません。日本人が外国人労働者より条件を悪くして働くなら雇用は日本人に戻ります。それは別に愛国主義ではなく「資本主義」ならそういう帰結になるからです。課税をして再分配を強化する事を訴えると「社会主義」と言われ、なぜか資本主義の象徴である移民労働者を攻撃する。小さな政府を志向しながら、自身の権利には執着する。執着するのは別にいいです。ただそれを守るために他人の人権まで奪うなと言いたいです。
 60年代から「研修」と言い張り、グローバル化の中人減らししたい国とのダンピングで労働力を受け入れた歴代日本政府の責任は問われにくいです。それに対して、ただ受け身になってしまった私達労働組合の責任も決して軽くはないです。こうした理不尽は絶対に改善せねば。結局自国中心の労働運動は絶え果てるだけだと考えます。

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