映画ドラえもん「のび太の地球交響楽」
3月公開の映画ドラえもん「のび太の地球交響楽」を観てきました。
息子が小学生ぐらいまでは毎年二人でドラえもん映画を観に行ってましたが、それ以来です。もちろん息子はもう観に行きません。オッサンひとりで観に行ってきました。
何故また急にひとりでドラえもん映画を観に行ったかというと、今回のテーマが音楽、交響楽だったからに他ならない。
以下、あらすじと感想。ネタバレあるかもしれないのでこれから観る方はご注意。
耳を傾ければ音楽が溢れているこの日常。いつも音楽が私たちの心を満たし、豊かにしてくれている。
のび太たちも音楽の授業で発表会に向けてのリコーダー練習に励んでいた。相変わらずのび太は他の人が真似できないような下手くそっぷりで奇妙な音を出し、ジャイアンやスネ夫にバカにされていた。
のび太がひとり川原で練習していると、のび太の奇妙なリコーダーの音に興味を持つ不思議な少女が現れる。
明くる日、のび太とジャイアンとスネ夫としずかちゃんが川原で練習しているところにドラえもんも加わって「ムードもりあげ楽団」なども使って楽しく演奏していると、例の少女がまた現れ、彼女の歌とセッションする。のび太たちをヴィルトゥオーゾだと確信した少女は、みんなの家に案内状を届け、夜の音楽室に誘い出す(怖w)。
少女の名はミッカ。ミッカの星も音楽に満ち溢れていたが、ノイズという音楽を食べる宇宙アメーバに侵食され、ミッカはわずかな仲間と音楽の殿堂(宇宙ステーション的な)に乗って地球の傍まで逃れてきたのだった。しかしその音楽殿堂も今は音楽を失ってしまっている。殿堂の復活にはヴィルトゥオーゾの力が必要で、のび太たちに助けを求めたのだった。
一方その頃地球では、人工衛星が小惑星から持ち帰った塵の分析作業が進んでいたのだが、その塵には怪しいアメーバも含まれていた。分析員の目を逃れてラボを抜け出すアメーバ。地球の音楽にも危機が迫りつつあった…
という感じで話が進みます。
まず序盤、音楽の授業なんて無くなれば良いと考えたのび太が「あらかじめ日記」を悪用して世界から音楽が消えてしまうくだりがある。街から様々なBGMが消え、音源は再生できず、歌おうとしても声が出ないし、楽器で演奏しようとしても音が出ない。何もかもが味気なくなり、人々はイライラする。
自分も音楽大好きだし、音楽を耳にしない日はない。イヤホン忘れただけで会社行くのやめたくなる。楽器を演奏する楽しみを生きがいのひとつにもしてますから、このくだりは思いのほか恐かった。
コロナ禍には演奏活動が制限された時期もあったけど、また当たり前の日常が戻ってくるとそのありがたみを忘れがち。こうして当たり前に音楽を聴けて、仲間と音楽できる幸福には感謝せねばですな。「みんなで音楽するの楽しいね!」という台詞には心から賛同しちゃいました。
今回、スネ夫がヴァイオリンでしずかちゃんがボンゴ(後にいろいろな打楽器に持ち替える)というのがちょっと気にかかった。しずかちゃんといえばヴァイオリンが下手なのは誰もが知るところ。なのであえてヴァイオリンは外したのかもしれないが、目の前でスネ夫にヴァイオリンを上手に弾かれてどんな気持ちだったのかそこは謎(笑)
ジャイアン=チューバ、スネ夫=ヴァイオリン、しずかちゃん=ボンゴ、のび太=リコーダーという楽器選択は、ドラえもんの道具「運命の赤い糸」でそれぞれに合った楽器が選ばれた結果だ。さらに「音楽家ライセンス」という道具を使ってぐんぐん上達。楽器自身が奏者のレベルに合わせて指導してくれるのだ。素晴らしい。
この「音楽家ライセンス」はカード型で上達するごとにアマチュア→プロフェッショナル→ヴィルトゥオーゾと表示が変わっていくのだが、大きくて重たい楽器でもキーホルダーサイズにして持ち運べるというオプション機能も付いていて、私はもう涙を滲ませながら握りこぶしを震わせるしかなかった。(楽器持ち運びの苦労が上達に悪影響を及ぼすのは間違いない)
客席は当然ほとんどが小さい子を連れた親子連れ。いつも思うのだけど、小学校低学年以下にはドラえもん映画のストーリーってちょっと難しいと思う。今回もわりと凝ったストーリーだったので小さい子どもには理解が難しかっただろう。自分もタイムマシーン絡みのタイムパラドックス系ストーリーなんかは小学校高学年ぐらいになってあらためて感心していたと思う。そんな風に大きくなってから懐かしく観直すことができるところが、ドラえもん映画の良さだとも思ってる。
タイムパラドックスといえば今回のテーマソング、Vaundyの「タイムパラドックス」良い。