【エッセイ】詩作のおとも、ソファベッド 長尾早苗
2019年に我が家にやってきたものがある。まだコロナ禍になる前、世界全体が大騒ぎする前に。
それが夫の買ってくれたソファベッドだ。ソファベッドをソファとして使ったことはこの3年ほど(少なくともわたしは)一度もない。
これに寝転ぶと本当に心地よい。ずっとここにいたい……という思いと睡魔がやってきて、いつの間にか寝落ちしてしまう夜もあった。
いやいや、これじゃただわたしがダメになるばかりである。
いや、でも朝のヨガはこの上でしているし、家族が起きてくるまではこの上でスマホで作業しているし……。わたしはいつも4時までには起きてしまう。朝5時になるまでパソコンは見ないと決めている。なぜかというと、パソコンは5時にならないと「おはようございます」という挨拶をしてくれないからだ。さみしい早朝の挨拶、「こんにちは」。
ソファベッドは詩作の中では一度も登場していなかったなと思うけれど、それだけ身近な存在になったのだ。
身近な存在だから書けない、というのは詩を書いている人ならわかる理屈だと思う。そうでもないかな。
ただ、わたしの休憩時間にいわゆる「万年床」として作業中に身を横たえるには、このソファベッドがうってつけなのだ。
以前七月堂さんと三叉灯さんのイベントに伺った時に、「うたたね」を題材に書かれたリトルプレスがあった。
西尾勝彦さんが書いていた文章や、七月堂の後藤聖子さんが書かれていた文章を面白く読んだのだけど、そうだよ集中する人には「うたたね」が必要なんだよ、と思いながら読んでいた。
わたしは今夜もこのソファベッドでダメになる。ダメになることを知っていながら、それでもどうどうと、詩作のおともにこのソファベッドを使い続けていきたい。
※長尾早苗さんが詩「ここではいつだって午後だ」を寄稿された詩誌La Vague vol.0はこちらより購入できます。