戦争の後に残るもの?
本稿では特定の思想を持つ人たちを否定する意図はなく、また私の考えを押し付けるつもりもありません。ただ、私自身の現時点での思考を整理するために執筆した次第です。
連日SNSやインターネットに流れる悲惨な情報。近年で最も世界大戦が起きかねない緊迫した状況であるとも言われ、多くの人がどうにかロシアの暴挙を止めたいと願っていることだろう。
コロナウイルスの世界的大流行が始まってから、
人々の心には慢性的な絶望や共感、何か理解できないものに自身の理解を超えた影響や因果を結びつけることで解決しようとする陰謀論などがウイルスと共に蔓延したような覚えがする。
今回のウクライナ侵攻に関しても、
多方面から現状を超えたレベルでの(ある種の妄想に近いような)将来に対する絶望的観測や、
国家を超えた組織的或いは民族的(ユダヤ系企業や闇の組織のような)関与が潜んでいるといった陰謀論。
はたまたどこか対岸の火事のような気分で、日本とは関係ないが戦争は嫌なのでウクライナの支援はしたいといった人達までいる。
ウクライナの歴史や戦争の背景について触れるつもりはないが、
今回の戦争で今一度考えたいことはなぜ戦争そのものが解決手段足り得るのかということだ。
人々は長い歴史の中で何度も戦争を繰り返し、その度に条約や盟約、法律などを制定してきた。
何度も繰り返すのに平和を願い取り決めをし、また不条理と感じたら戦争を繰り返す。
戦争をするに至っては; 領土を広げたい・特定の品を生産したり輸出したい・経済拠点を広げる・民族意識・宗教問題などが主な理由としてあげられる。
しかし、近代の戦争においては歴史的認識の相違及び自国のプライドとして、ある土地を取り返すことが国家的ナショナリズムのゴールになっているという側面も強いのではないのだろうか。
考えてみれば、そうした理由は全て過去からの積み重ねと怨念と執念で積み上がってきたものなのだから、今世代が戦争で解決できると思っている(あるいは解決すべきだと考える)問題はその塔の一端に新たな火種と犠牲を積み上げるだけだと思う。
単純に言ってしまえば切りがないのである。
数年前ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を訪れたときのことだ。
何処までも平原が広がる土地に寂れた鉄道のレーンが延々と続く場所。真冬のポーランドの風は針で刺すように緊張していて痛かった。
収容所を訪れていた人の多くはユダヤ人で、彼らの特徴的な黒い服は喪服のように沈痛な趣を醸し出していた。
ダビデの星を描いた大きな旗やイスラエル国旗を背負いながら歩いている人もいた。
彼らはここに来る上でアイデンティティとプライドを背負って来ているんだな、と思ったのを覚えている。
収容所の中は異国の観光客が見る分にもかなり苦しく辛い。淡々と置かれる遺留品や暴挙虐殺の跡は誇張もされていない只の凄惨な事実を突きつけられるようでとても胸が痛くなった。
大量の鞄、刈り取られた毛髪、おびただしい数の義手や義足、2メートルほどの高さのあるガラスの壺に入ったほんの一部の犠牲者の遺灰、廊下一面に並ぶ収容者の写真、部屋を埋め尽くす大量のガス缶。
これら殆どが証拠隠滅の際に無くなった中から見つかったほんの一部であるということ。
この場所を訪れるユダヤ人達は一体どのような気持ちで足を運んだのだろう?
辺りには音声ガイドを聞きながら真冬の冷たいレンガの床に蹲る人、何かの写真を握りしめて咽び泣く人、共に集まり嘆きの壁に花を添え聖歌を歌う人達。
驚いたのはパレスチナ国旗を掲げているムスリムの旅行客達も彼らと一緒になって泣いていたこと。彼らは遠い国から、自分達と子孫達の将来を守るためにここに来ている。
目の前に展示されている悍しい品々や解説に正面から向き合う彼らの姿があった。
展示されている犠牲者の数に、きっと彼らの先祖や親戚が含まれている。私と同じ年くらいのユダヤ人の彼らは、戦争を経験したことがないが戦争を知っている。
涙を流しながら前向きに生きようとする彼らの姿は眩しく美しかったが、違う世界で存在したはずの家族や友人を奪われた戦争の犠牲者の一部なのだと思わずにはいられなかった。
ここにあるのは只の事実であり、彼らにとってはおそらく親戚であり家族であり先祖の墓なのだ。
正しい史実を伝えるだとか、何処其処のデータや数字が間違っているかは論点じゃない。
こんな陰謀や意図があったなどの言論は後回しに、この場所は事実でありレクイエムであり戦争の犠牲者の墓場なのだ。
恥ずかしながら、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を訪れるまで若干右翼寄りの言論に傾くことがあった。
戦争にも国の歴史的事情や経済環境を考慮すべきだと考えている節があり、犠牲者の数や謝罪の意図、賠償金の有無や歴史の政治利用などにも慎重な立場であったからだ。
しかしどうだ、もし戦争で犠牲になるのが国家的プライドだけなら可愛いものじゃないか。
私があの日ポーランドで見た圧倒的理不尽と無念さに苦しむ人々の無差別な蹂躪の跡は、戦争で残るものは失ったもの自体であると認識を改めさせられるものだった。
私は戦争そのものを経験したことはないが、経験してきた人のことは知っている。
祖母の言葉はいつもシンプルで「戦争は何も解決しない」とだけ。敵国や敗戦したことへの恨み節は一度も聞いたことがない。
私が生まれる前に亡くなってしまった曽祖父も、戦場から生き抜いた後2年も捕虜になり帰国できなかった。
彼は自身の経験は多く語らず一度も自慢せず「戦争だけは絶対にしたらあかん。」としか言わなかったそうだ。
戦争の後に残るものはなにか?
私には、失ったものそのものとしか答えられない。
戦争が起きたあとにある世界はパラレルワールドの別世界だと言う人もいるかもしれないが、一度失った世界はそこで終わりなのだ。
あの日見た失った先祖や兄弟を追悼して嘆き悲しむ彼らの姿も、今現在苦しむ人々の中でも、既にあるはずだったものは失われ続けているのだから。
(2440 words)
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