スクリーンショット__1138_

「感動ポルノ」の持つ意味(4)

 この批評者は「聲の形」を必死で擁護しているようだが、マスコミに向かって「聴覚障害者への苛めを理解してほしい」と公言した作者・大今良時が字幕問題から逃亡していることには一切触れていない。

 断っておくが、どんな漫画を出そうが私は気にしないし、面白いものや考えさせられるものがあれば買ったり観たりしている。

 批評者みずから書いた「障害者をネタにするな!」を言うなら、私は愛読書の一つであるこの「わが指のオーケストラ」でさえも読めない。この作品は映画もドラマもないが、この漫画家の山本おさむ氏が監督をした「どんぐりの家」のアニメ映画版は字幕がつけられている。

 当時「聲の形」のオリジンである「君の手がささやいている」がドラマ化されるとき、字幕は全くと言っていいほどつけられていなかった。健常者の為に手話を字幕化していたが、聴覚障害者のために字幕を付けることはなかったのだ。

 重ねて書くがステラ・ヤング氏は「障害者ってだけで特別扱いも異常者扱いもされることなく日常生活をごく当たり前に送りたい」と言っているのだ。ステラ・ヤング氏は演説の内容から『異常者』扱いもされてきたことだと想像できる。私も外見で『異常者』扱いされることが多い。

 「光」の河瀬直美監督もだが、この批評を書いている人もステラ・ヤング氏の「指摘」を自分の都合の良いように改ざんしている。大今良時は字幕問題から逃亡し、アニメ制作会社は性的アピールを強調したポスターやイラストのコピペでラインのアイコンを作ったりしている。挙句に大垣市での出生届や婚姻届にまで商売を広げている。

 こうしてテキストを入力しているが、上の画像の下半身、しかも不自然なまでに隠されたというか『描かれない下着部分』に目が行く。同じポーズをとっているグラビアアイドルの画像を確認したが、下半身の性器部分を隠す水着が見えていた。 

 大今良時みずからマスコミにアピールした「聴覚障害者へのイジメ」「聴覚障害者への理解」はどこへ行ったのか。

 そして、一番大事な「字幕問題」はどこへ行ったのか。

 「感動ポルノ」はこの批評者のように聴覚障害者の抱える問題を無視して自分の都合の良いように障害者を利用していることを指すのだ。250円も払わせるあたりが便乗というよりも己の正当化を図っているのが分かる。

 批評者は「知ることを手伝ってほしい」と綺麗ごとを書いているが、聴覚障害者の抱える字幕問題を無視して、自分がいかに無知だったかを悲劇の英雄のごとく演じているだけに過ぎない。

 どんな漫画を描こうが自由だが、マスコミに向かって「聴覚障害者への理解」を公言するならば、まず作者自身が映画・ドラマ・アニメ化された時に字幕問題と向き合うべきである。

 有川浩のように聴覚障害を持った女性を出演させては「私は字幕問題については関係ありません」と明言して逃亡を図るような作者こそが、ステラ・ヤング氏の言う通り「障害者を利用している」のだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?