「感動ポルノ」の持つ意味(6)
前回は山田尚子監督だったが、今回は声優たちにスポットライトを当ててみよう。
声優はいずれも健常者で、聴覚障害美少女役の声優も健常者である。
そして、誰もが字幕問題を完全シカト、上映会に至っては要約筆記も手話通訳も呼ばない。
同じ声優でも、森田成一氏とは違う。
森田成一氏は「BLEACH」の一護役を演じていることで有名だが、この作品を通じて難聴児と出会った経験から制作サイドに字幕を付けるよう言ったという。
森田成一氏は直接難聴児と会っているので「聲の形」の声優陣とは違うだろうというコメントが聞こえてきそうだが、「聲の形」の声優たちが聴覚障害がなんであるかを理解する意思すらないのが問題なのだ。
「聲の形」の声優たちは美少女に描かれたイラストを見て浮かれているだけで、字幕問題について一切ノータッチなのだ。作品中にあれだけ筆談や手話が出ているし、コミュニケーションの問題から来るイジメだとアピールしている上に本人たちがそれを演じたり、録音現場でアニメ動画や台本を見ているにも関わらずである。
本人たちは自分たちに役が決まったときは上の画像↑のように喜びの声を届けていたが、この時要約筆記者の「聴覚障害を出すのであればコマーシャルに字幕を付けてほしい」というツィートを、アニメ制作会社と足並みをそろえるかのようにこぞって無視していた。
(↓下がアニメ制作会社へのリツイートだが声優たちも見ていた可能性は高い)
改めて森田成一氏の声優としてのプライドの高さに敬服したくなる。
結局「聲の形」の声優たちは自分の感動の為に聴覚障害美少女を利用しているだけに過ぎなかったのだ。
そして、それは要約筆記者の訴えを出演者全員でアニメ制作会社と一緒に足並みをそろえてシカト行為に出るという愚を行った。
発売されたDVDとBRに字幕がつけられているが、特典に入っている「公開記念特番」や「舞台挨拶映像」などはどうなっているのか未確認である。
確認したいとは思わないし、字幕があればともかく、字幕を本編だけにつけて、声優たちのトークなどに全くつけなかったとしたらお金目当ての感動ポルノ作品だということになる。
「BLEACH ダイヤモンドダストリベリオン」は声優たちのトークでも字幕がつけられているが、難聴のファンにも見せてやりたいという森田成一氏の気持ちがこもっている。
ちなみに後のTVアニメ版「地球へ・・・」も、同じように声優たちのトークに字幕がつけられた。
声優たちがアニメ制作会社と足並みをそろえて要約筆記者の要望を無視したこの「聲の形」のDVDおよびBRは、果たして買う価値があるのか。
「感動ポルノ」はこういう健常者(「聲の形」声優たち)の都合を優先し、障害者(聴覚障害者やツイートした要約筆記者)をもてあそぶことを指すのである。
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