「感動ポルノ」の持つ意味(15)
ステラ・ヤング氏の演説内容が日本では美少女マニアによって歪められている。もう一度ステラ・ヤング氏の演説内容をざっくりとまとめてみよう。
「見た目が美しく(性的衝動をそそる)聴覚障害者が(下半身をむき出しにして)頑張っている」姿に感動することはあっても、聴覚障害者の「字幕を付けてほしい」や要約筆記者の「聴こえない人の為にも字幕を付けてほしい」という聲の形に耳を傾けることがない事を「感動ポルノ」という。
↓この画像のように、漫画の聴覚障害美少女をフィギュア化することはあっても、字幕をつけることはないのだ。
ソフトバンクのお父さんネタではないが
聴覚障害者を「美少女」「美女」に描けばいいってもんじゃない。
↓こちらのイラストは「図書館戦争」より。
聴覚障害者は必ずと言っていいほど美少女・美女に描かれる。この「図書館戦争」もドラマ版ではラストに放送された俳優たちのトークショーに字幕がつけられなかった。聴覚障害美少女を演じた俳優も字幕が付かないトークショーを自己陶酔の様子で語っていたようだが、ここに差別意識が表れていると言える。
↑アニメ映画「聲の形」公式サイトでの字幕なし予告。要約筆記者はこれを見て字幕を付けるよう要請したが、声優たちに至るまで関係者全員が完全無視だった。
感動ポルノマニアにとって大事なのは、山田尚子監督自身の過去の作品を見ても分かるように、字幕を付けることよりもむしろ美少女の下半身そのものである。
本当に「聲の形」のテーマ(=大今良時自身がマスコミに向かって公言した内容)を理解しているなら聴覚障害美少女の下半身を強調するイラストを載せたりしないし、何よりも「誰が主人公であるか」を明らかにする。
脇役であるはずの聴覚障害者は「美少女」であるがゆえに、美少女感動ポルノマニアによって「主人公」や「テーマ」を無視して「美しさ」「可愛らしさ」をクローズアップさせられている。
聴覚障害美少女は、子犬や子猫と同じ扱いである。
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