不屈の僕へ II
昼に寝ていたらばあちゃんがご飯だよと言ってきた。
そして扉を閉めてからブツブツ知らね、だのなんだの愚痴吐いてるようだったが、今日は死ね、と叫んでいた。
本当に言ったのか?と体が凍る感じがしたがはっきりと聞こえた。
しゃね(知らねえ)の発音でも無かった。
また俺は迷惑をかけたのかと思った。
僕はずっと誰か一緒に話してくれるような、とても居心地のいい人と場所を探していた。
家ではすぐ怒られ叩かれ、気分が悪かった。
母はそう言う父から俺を庇っていた。
それでも俺が宿題をやらなかったり、言うことを聞かなかったりしたからだ、言ってダメならどうすればいいんだ?と言われ、俺が悪いのかと消化できないまま納得されられた。
だから母を信頼していたのだが、母は母で「(父方の)おばあちゃんはね、ここの家に来たばかりのときに私が作ったご飯全部捨てられて」とか「お母さん(父方のばあちゃん)はパパさんのこと大好きだから私はどうでもいいのよ」とか俺に言ってきた。
父もばあちゃんに反抗的で、何かあるたびに「こいつ中学校の時いじめられて学校行ってないから漢字書けないんだぞ、バイト先でもいじめられて3日で行かなくなって」とか、「このババア甘やかされて育ったから何も分かってねんだよ」なんて言ってきた。挙げ句の果てに俺に物に当たるなといいつつばあちゃんに漬物乗せた皿を投げていた。
当然俺は子どもなので、ばあちゃんは悪者だと思い込み、バランスボールを投げつけたりぞんざいな扱いをする。俺は悪いことをした。
母だけがいい人だと思っていたが、母はお酒に弱いのに毎日飲むような人だった。
その結果がこれである:
・父と話が噛み合うわけもなく、喧嘩になる。2階の自室で、なんかうるさいと思って床に耳をつけると、ドカンだのなんだの物に当たる音、怒鳴り声が聞こえる。
そうして父が2階に上がって来ると、高確率で俺に八つ当たりに来る。ゲームしていると、ゲームやめろだの、お前のせいで俺は不幸だの言われ、回答を間違うと胸ぐらを掴まれるか最悪部屋の隅に追い詰めて攻撃して来る。
そうして母がやめなさい!何してるの!と出てくるが、そもそもはお前らが喧嘩したせいだろうがとイライラする。
こういう日は風呂に入れず寝ることになる。潔癖なのでフローリングでだ。
そして確実に酷い夢を見て、大量のおねしょをしている。
僕はこのせいでおねしょが中二ぐらいまで治らなかった。
・来客が来たときに飲みすぎて風呂場で寝てしまい、お風呂から出させ、服着せて寝かせるというクソなことを来客にさせる。
・大晦日に今日だけは飲んでいいよね?と言われていいと言ったら、家族で変な雰囲気になり、包丁で手を切ったのを放置してこたつを血だらけにし、止血せずにそれをぽやーっと眺めている。
お酒が全てとは言わないが、お酒飲んでいるせいでこうなっているんだからやめてくれと何百回も言った。
小学校低学年のときにお酒を飲むな、という張り紙を何十枚も家のあちこちに置いたこともあった。
しかしやめない。宿題ちゃんとやるならやめる、などと言われたが馬鹿らしくなってしなかった。
昼間の酒を飲んでいない母が好きだから、昼間の母でいて欲しかったが、毎回お酒を飲んでクソになるので殴っていた。
ずっと気持ち悪い目でうなずきながら、何十分も川端康成みてえに見てくる。
苦痛で仕方がなかった。なんで味方がいないのかと。兄弟でもいれば話せたのに。
俺だって母を好きになりたかった。あり得ないほどの安月給で、2日帰れないくらいのブラックで働いて、僕のことを看病したり考えたりしてくれてと。お酒を飲んだめちゃくちゃな気味が悪い母が嫌いで仕方なかった。
楽しかったことは忘れているが、悪かったことは覚えている。
学校ではまあ楽しかったが、男子によって露骨に態度を変えるのが嫌で女子嫌いだった。
転校生と打ち解け方がわかんなくてお尻を叩いたこと、間違えて鉛筆キャップを割ってしまったり、給食前のプロレスで力加減間違えて頭を床に思いっきりぶつけさせてしまったこと。
ただ、このプロレスのときに先生が俺に怒ってきて「あ〜あ、僕くんのせいで雰囲気台無しだよ〜」とか言ってきたのはまだ怒っている。
その後鼻の上に定規のせてマイクラのゴーレムみてえにしてたら転校生が笑って雰囲気が良くなった。
家に帰るとあまり面白くないので帰りたくなかった。
親が無職?の時期があって喧嘩の頻度が多かったのを覚えている。
「お前のせいで喧嘩ばっかりだ。」なんて言ってきて、じゃあどうすればいいんだと思った。
こういうのを見ると、家族の仲が悪くなるから子どもは持たない方がいいなんて考えるかもしれないが、それは違う。
教育方針の相違やある程度の喧嘩は親として成長する上で必要でもある。ただ、僕の親のようなどっちも私は悪くない、普通だと思いこみ、何も変わろうと努力しない親がダメなんだ。
ネットのアドバイスかなんかで見たのかは知らないが、明らかに態度や物腰が柔らかいときがあった。
そういうのは大抵続かず、俺が目立って変化しないとすぐ前の嫌なスタンスに変える。
そういう積み重ねで信頼がないのに言ってみろだの何言われても話す気にならない。
小6辺りの父は嫌いだった。話を何回か空返事したら笑っていたのに怒り出して俺のポケモンの攻略本を破った。家族がテープで貼って直してくれた。
天井をどんどん叩くと俺を呼ぶ合図という意味わからないことを勝手に作り出し、何回も鳴らされて気分が悪かった。
中学生で、もう家が嫌になって、学校も嫌になってただめちゃくちゃ遊んでいた。
具合悪かった。もう覚えていない。ここは何があったか覚えていない。
そして中3の時にもう嫌だとなって母方の実家に逃げ出した。
俺は両親が嫌いだったのに母もこっちにきたせいで家族関係がめちゃくちゃになった。
ここで具合悪くなって暴れてめちゃくちゃになっていたのだが、迷惑をかけていたんだな。
ばあちゃんが最近ブツブツ言うようになり出して、今日は死ねと叫んだ。
いくらボケてるとはいえそんなにかと。
学校に行かないで一日中家にいるってことが昔の人だから嫌なのか。
そもそも浪人生でもなく、まだ現役なのに…という屁理屈は置いておき、本当に迷惑をかけているんだと思うと、ごめんなさいという他はない。
前なら過剰に自分を責めてめちゃくちゃになっていたが、今は、自分も悪いけどあなたも悪い、誰も悪くない。と考えている。
今までも家族、友人、部活、とすがって自分でそれを壊してきたから、自分には何もない空虚な厄病神と自覚している。
死には値しない。僕はまだ若いから未来がある。
50歳まで浪人したら終わりだな😂
いや、多浪宣言ではないよ。現役で人生設計を考えている。
スルースキルが大事だ。大量のストレスをどう処理するか、ウォール街の皆さんから学ぶか?禅でもやろうかな。
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