発達グレーな私が毎日楽しくすごせるポイント
・大事なのは自己肯定感
・障害とはなんぞや
・だから毎日楽しくすごせる
発達障害があるとかないとかグレーとか、あまり関係ないかもしれません。
私は、毎日を楽しく生きるのに重要なポイントは「自己肯定感」だと思っています。
発達のアンバランスさが障害になるかどうかは自己肯定感の高低にかかっているとずっと思っていて。
発達障害は先天性の脳の障害なので、自己肯定感が高ければ発達バランスがよくなるとか、そういうことではないんですけど。
じゃあ「障害になるかどうか」ってどういうことかというと。
そもそも「障害」ってなんだー?という話になっていきます。
障害とはなんぞやってことを考えるとき、2001年のICF(国際生活機能分類)モデルで、障害はbeingではなくhavingだという概念になった話が思い出されます。
…勉強不足の私にまずICFについて教えてくれた方々には、何を偉そうに!と言われそうですね。障害の概念、なんて考えたことがなかったので大きな気づきをいただいて感謝しております。
さて、障害はbeingではなくhavingだということ、なぜこの違いが大事なのかというと。
障害はその人の中にあるものか、その人が抱えているものなのか、という違いになるからです。
例えば、ADHDみが強い私がひとりですごしているとき。
洗濯機をまわしながらテレビに夢中になり、洗濯物の存在を忘れて夕飯の支度を始めて、調理が終わらないうちに買い物に出かけても。
帰宅したら濡れた洗濯物とつけっ放しのテレビと散らかった台所が待っているだけなんです。
はたから見て効率が悪いとか電気代がもったいないという意見はありそうですが、とくに「障害」という程大げさなものではないですよね。
これが、ADHDみが強い私が職場で仕事をしているとき。
今日中に仕上げたいデータを作っている途中で回覧された書類を読み始め、書類チェックをしながら同僚宛ての電話を受け、電話メモを書いている途中で声をかけられ、メモを渡すのを忘れてランチに出かけたとしたら。
ランチから戻ると、今日中のデータは終わってないわ、回覧書類は私で止まってるわ、電話はなかったことになってるわ、なかなか業務に支障をきたしているんですよね…。
これは私が仕事に対して抱えている障害になります。
この問題は一朝一夕にどうにかなるものではないのですが、よき仲間や環境調整によって大きな障害とせず働いています。その話はまた別途。
つまり、私のADHDみという特性はひとりでは問題とならないので障害ではありません。社会と関わるときに問題となるので初めて障害をhaveしている状態となるわけです。
※自他ともに認める軽度ADHDの特性持ちですが、診断を受けたわけではないので"ADHDみ"にしています。
ここからひとつ大事な理論。
障害とは社会が作り出したものなので本人または家族に生きづらさ・困り感がなければ障害ではないんですね。
あくまで私の好きな理論であって別の考え方もあるでしょうが。
障害者手帳は押し付けられるものではなく申請して発行してもらうものなので、手帳を必要としない=困っていることがない=障害はないということで、あながち間違っていないかなと思います。
さて、最初の話に戻ります。
>発達のアンバランスさが障害になるかどうかは自己肯定感の高低にかかっている
これは発達のアンバランスさを生きづらさ・困り感ととらえるかどうか、と読み替えていただけたらいいかな、と思います。
自己肯定感が高ければ、苦手な事がある自分とも穏やかにつきあえる。得意な事を大事にして毎日を楽しんですごしていかれる。
自己肯定感が低ければ、苦手な事がある自分が許せない。あっちにもこっちにも苦しさのタネがあり、窮屈で生きづらい日々をすごすことになる。
だから私は、毎日を楽しく生きるのに重要なポイントは「自己肯定感」だと思っているんです。