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今昔、されどスニーカー ~時代はairmax に委ねてる~

いま思い返してみても、90年代の半ば頃から後半にかけての時期のスニーカーブームは正直すごかった。

ハイテクスニーカーは90年代に差し掛かる少し前頃からのテクノロジー開発の勢いが少しづつ、ゆらりゆらりと流行りの波に近づいてきていた頃だったと思います。その緩やかでも大きくなる波に続けとばかりに各ブランドの新作がリリースされ、既存のスニーカーも再び注目されて、また新作がリリースされて。と、あっという間に僕たちはスニーカーブームの波に飲みこまれていきました。

スニーカーブームの火付け役はハイテクスニーカーの雄、NIKEのAIRMAX95'だと僕はおもっています。もちろん、それ以前に発売されていたポンプフューリーの存在も欠かせないことは言うまでもなく。

そして、それ以前は同じくNIKEのジョーダンシリーズが人気絶頂でした。


………


ブランドによってはfoot locker、mita sneakers、chapterとコラボして別注でつくっているモデルもあるので、同じモデルでも色が違うとか、エアーのなかに星みたいな何かが見えるとか(AIRMAX95'のネイビーがそうだった記憶です)、希少価値がバシバシ上がっていくわけです。

そして、今でも復刻発売されているくらい素晴らしいデザインが多かったのがこの時期なわけです。なかでもNIKEは群を抜いて別格だったと思うのです。

-AIR MAX95'

-モアアップテンポ

-フットスケープ

-ACGエアモック

-エアハラチ

-エアシェイク

-ズームフライト96'

-エアピッペン

-ジョーダンシリーズ

-NOMO MAX   などなど。

枚挙にいとまがないんです。

もう、とにかくすごかった。あれこれ欲しかったモノがいっぱいだったんです。


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じゃぁ、NIKE以外はどうだったの?何があったの? となりますよね。

もちろん他にも名作は多く存在していたんです。  

-Reebok ポンプフューリー、フューリーロード

-adidas

スタンスミス ( のフランス製やトルコ製を探すことに心血を注いでいました )

super star

Equipment

CAMPUS

※ スタンスミスはこの頃も今と同じく人気がありました。人気モデルなだけに、何年か前に一時スタンスミスが発売されなかった時期が到来した時は絶句しました。

-PUMA ディスクブレイズ、スウェード

-FILA 96GL ( グラントヒルモデル )

-ニューバランス M1400

-エトニーズ

-ノースウェーブ

-VANS

-エアウォーク? この頃だっけ??


この当時流行っていたカルチャーがB-BOYやスケーター、ストリート、アメカジなどなどカテゴリーが様々だったので、流行っていたスニーカーもハイテクからローテクまでとても幅広かったです。

カルチャーが大きくイロイロな方向から交わっていた、ミックスされていたような、そう捉える感じです。

喩えるなら、渋谷のスクランブル交差点みたいなイメージ、かなと。

この日本独特なカルチャーは、海外カルチャーに引けを取らないくらい気概を持ってこの頃にはある程度出来上がっていた。

そう思うのです。

それ故に僕はこういう空気感って絶対的な違いはあれどやはり今と多少似ているところがあって、ある程度のサイクルをもって時代は繰り返しを辿っていると感じることさえ多くあります。

もちろん いい意味で です。


………


スニーカーに話を戻すと、

ハイテクスニーカーの価値は雑誌での掲載しかり、特にAIR MAX95'は広末涼子さんがポケベルのCMで履いていたこもあって、あっという間に価格高騰、プレミア価格。

そんな状況だって、欲しいものは欲しい訳で、でもどんなに欲しくてもプレミア価格の壁の前ではひれ伏すしかないんです。これが悲しい。

しかも残酷なことに、近いところでぼくの友人がこの当時に、なんと青のAIR MAX95' を履いていたんです。

実物を手にとって目の前で見れちゃうもんだから、これはかなり羨ましかったし、妬ましかったです。

(この彼は、フットスケープすらも持っていたからただただ驚くしかありません)

僕としては

原宿、渋谷はムリだとしても探せば必ずどこかにあるんじゃないか!

そんなシャカリキ精神で、いろんなお店を、それこそ可能性にかけて地元や地元以外のなんてことない靴屋さんから柏の方面にまで足を延ばして探しに探しました。が、まぁ見つかるはずもなく。運送業者さんが手違いで地元の靴屋に一足くらい間違えて納品してくれていたらどれだけ喜んだことか。。。 


プレミアは新品で数十万円、中古でも数万円の値がつく始末、AIR MAX狩りをする輩まで現れるわで、今思い返せば強烈な社会現象だったような気がします。


とはいえ、僕にはとってはおもしろく可笑しく好きな時代だったことには変わりありません。


結局何が言いたかったって、90年代の半ばから後半にかけて発売されたスニーカーって今見てもカッコ良い!


ってことです。


ご清聴ありがとうございました。



2019年の10月から始めたブログですが、読んでくれる方がいると思うと楽しく続けてこれました。読んでくれている方も、これから読んでくれるだろう方もどうもありがとうございました。

2019年も残すところ僅かになりましたが、2020年も皆様にとって素晴らしい1年になることを祈念しています。



今日も素敵な日をお過ごしください。



タカハシ カズキ





2019年最後の余談ですが、

青のAIR MAX95'を所有していた先出の友人はそれを大事にはしていたけど、飾ったりすることを重要視するよりも大事に履き潰すことが重要だった人でした。

ある日の放課後、皆でサッカーをしているときに ‘‘パァーンッ!!’’ ってすごい音。なんの音かと瞬時に振り返った頃には遅く、その音とともにエアーは割れAIR MAX95' は短かったその生涯に幕を閉じていました。この時の僕たちには知る由もなかったけれど、新しい時代が幕を開けうる頃だったのです。


※トップの写真はDOCOMOのCM出演時の当時高校生くらいの広末涼子さんの写真です。




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