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小六の時に猫を飼うことを決めた帰りの会 下

2019年1月2日ライは逝った。


僕は泣いた。三日三晩泣き尽くした。いやもっとだ。


僕は東京に暮らしていたが、ちょうど帰省したタイミングだった。家族は母の実家の青森にいた。








ライはとても好奇心旺盛で、よく遊んだ。

ベランダでセミを取ってくることがあってみんなを驚かせたりもした。

病気もせず元気に暮らした。

僕ら家族はライが来た初日言った可愛いを毎日言った。

ライは抱っこされることをあまり好まなかった。抱っこするとすぐに降りたがった。

ライはあまり鳴くこともなかった。

家の玄関前に着く時にだけおかえりと言わんばかりに鳴いていた。

家に入るとすり寄ってきて餌をせがみ、甘えてくる。

お腹がいっぱいになるとさっきの甘え方はどこへやら?他人のフリをする。

僕が落ち込んでたりした時にたまにライが寄ってくると、こいつ気持ちをわかっているのかな?と思う瞬間もあった。

離れると近づき、近づくと離れる。そんな奴だった。


母は

ライがもしも喋ったら大変だよね。

とある時に言った。僕は深く頷いた。姉も同じだった。

僕はライに相談したり、愚痴を言ったり秘密を打ち明けることがあった。みんなそうだった。

もちろんライは何も言わない。

それでいいそれがいい。


寝床はいつも気まぐれ、誰の布団でも寝る。その行動をうちでは光源氏と呼んだ。

寝る場所も布団の中や顔の近くに寄ってくることはなく足の方で寝ていた。


小6から約17年間共に過ごした。人間で言えば80歳だ。


2年前から人間で言う骨髄小脳変性症という病気になった。

体は痩せ細っていったが食べることには凄まじい勢いをみせた。

目も悪くなり、トイレも所定の場所ではできなくなってきていた。

なるべく東京から横須賀に帰って様子を見ていたが、徐々に弱ってきているのはわかっていた。毛も整理することができなくなり、お風呂に入れても毛が固まってボサボサになってしまっていた。

実家には3年前から母とライのみが残り2人で過ごしていた。病気をしてからのライの看病は大変だったと思う。

感覚が鋭くなって朝になると餌をあげてもあげても欲しがり、なかなか母は寝られず怒ってしまったことがあったと言う。そのことを母は後悔していた。お母さんは悪くないよ。


2019年1月1日の夜、実家に帰ってきて寝ようとするとライが寄ってきた。

いつものように足の方ではなく、僕の顔の横で寝た。
こんなことは初めてだった。たまたまかもしれないが今思えば最後に一緒に寝てくれたのかもしれない。

1月2日朝目覚めるとライの姿布団にはなかった。

どこを探してもいない。

いないだろうと思いつつお風呂場に行くと、お風呂と給湯器の間に落っこちて倒れていた。死際を見せないように隠れていたのかもしれない。ヨレヨレになったライもこんなことは一度もなかった。

ライを急いで引っ張り出し、大丈夫か?と声をかけた。

まだ少しだけ息はあった。

しかし、もうそれは永くは持たないと悟った。

その数分後

ライは息をしなくなった。

ライ?ライ?

と声をかけると



突然目を見開いた。

いや大丈夫なんかい!!

と反射的に突っ込んでしまった。

その直後にライは目を閉じて完全に息を引き取った。少し笑っていた気がする。

何度声をかけても息を吹き返すことはなかった。

僕は泣いた。
僕は涙が止まらなかった。止めようにもコントロールが効かずパニック状態に陥った。

家族に電話しなければ。

冷静に冷静に

一番上の姉が最初に電話に出た。僕は号泣パニック状態で伝えたがなんとか伝わった。姉も泣いていた。

母に電話すると、

そうか…そうか…

と言いながら泣いていた。

大往生だったよ。この帰ってきたタイミングで逝ったのは和洋のことを待っていたのかもしれないね。

といって電話を切った。


そこから数日、ライの亡骸にありがとう、といって毎日を過ごした。


ライは動物火葬屋さんに頼むことにした。

軽トラの後ろに火葬できる機械のような物が付いている車で海まで行きそこで焼いてもらうことになった。

ライの大好物の餌などを入れて焼いて、横須賀の海の前で火葬してもらっていた。


ふぁーっと自転車で初老の男性が近寄ってきた来た。

僕らが手を合わせて供養していると、男性が一言


なんだ焼き芋じゃないのか

あいつだけは絶対に許さない。


骨だけになったライを見て


こんなになってしまって…


と母はまた泣いていた。




ライと共に過ごせてよかった。

そうおもった。家に誰もいなくてもライがあれば楽しかった。

姉が2人だった僕にとっては弟のような存在だったのかもしれない。

毎日可愛いといったし、最後も見届けられた。何も後悔はなかった。


また猫を飼いたいかと言われると、

ー楽しいことしかなかった猫との生活だったが、別れの方がつらすぎた。ー

また飼いたいとは言えないな。






そんなことを思い出す子猫の動画だった。




ライありがとう。

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そしてその四ヶ月後










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