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奇書?『死は存在しない』を読んでみた

すさまじく強烈なタイトルに惹かれて、一目ぼれして買った書籍があります。それがずばり、『死は存在しない-最先端量子科学が示す新たな仮説』です。なんて強烈なタイトルなんだとうなりながら読んだ著作。
正直前半はロジカルなのですが、後半に至るにつれどんどんスピリチュアル感が出てきます。それゆえ、amazonレビューでも批判的な意見も散見されます。私も正直後半に行くにつれ、うーん!?と首をかしげざるを得ませんでした。ただし、一読してみる価値のある本ではあると思います。


死は本当に存在しないの?

はっきりってわかりません。結論から言うとそれが答えです。本著を読んでもそれはわかりません。しかし、何かしらの理由で死の恐怖におびえている方にとって本著が救いとなることは間違いないでしょう。それだけ、著者の語り口は確信を帯びたものとなっています。

著者が立てた仮説「ゼロポイントフィールド仮説」とは!?

ゼロポイントフィールド仮説とは、この宇宙に遍く存在する量子真空の中にゼロポイントフィールドと呼ばれる場があり、この場に宇宙の出来事のすべての情報が記録されているとする…と、する仮説のようです。
要するにすべての情報が記録されるから、それゆえ、「死は存在しない」ってことらしいです。うーん。壮大過ぎてようわからん。

もう少し解説します

要するに宇宙はどうやって生まれたの?と元をたどっていくと、最初は何もないわけだから、「真空状態」でもエネルギーが存在していたとしか思えない。だとすれば、そこには膨大なエネルギーを格納できる場所があるはずだ。そして、そこには「ありとある宇宙の意識や記憶が格納されるのでは?」ということのようです。正直ロジカルとは言えない、論理の展開のさせた方です。いわゆる論理の飛躍が起きています。

量子力学って不思議な学問なんです

一般常識が全く通用しないんです。量子力学レベルのミクロな世界では未来から過去へと時間が進むことも想定されるし、観測者がいることで初めて現象が確定されるんですね。皆さんお好きな「シュレディンガーの猫」みたいなやつです。

批判的なレビューを読んで感じたこと

日本人は宗教にかなり厳しいです。ただし、例えば、大好きなアイドルにのめりこんだり、一生の趣味があったり、あるいは、大切な家族がいたり、これらは根本的には宗教に傾倒するのと「心理的な構造としては」大きくは変わりません。
どれも自分の人生を根本から支え、自分という存在の主軸となり、未来に向かってポジティブに生きていくための礎となるものです

つまり、宗教自体は悪ではない。むしろ、死への恐怖に対して、必要な存在であったと言える。良くなかった点があるとすれば以下の三つ。

  • 他者に強制すること。自身の趣味を強引に押し付けられすぎると、嫌悪感を抱きますよね。根本的には同じだと思います。

  • 権力者の私腹を肥やしたり、政治に利用されること。宗教が歴史的に批判されるのは主にこの側面からです。

  • のめりこみすぎて判断力を失うこと。私財を投げうって喜捨し、家族が不幸になったケースを耳にすることも多いと思います。

しかし、人間何かしらの礎がないとやはりパワーがわかないものなんですね。だからそれが宗教であってもかまわないのではないか、と私は思います。上記三つの側面があるとよくないですが、そうでなければ、個人の信教の自由の範囲内であると思います。

結局何が言いたいのかというと

たしかに本著を科学本として売り出すことは倫理的に問題があります。どちらかと言えば、疑似科学に分類される本でしょう。
しかし、「ゼロポイントフィールド仮説」という信念を持つことで、自身の中に確固たる礎ができ、その力でポジティブに邁進し、未来を切り開けるとしたら、本著を軽々しくは批判できないということなんです。
実際に本著が救いとなる方は少なからずいらっしゃるでしょう。その証拠に本屋さんでもいまだに平積みになっていたりします。

上記が私が感じた率直な感想です。
ただし、くれぐれもこの仮説は他者に強制するべきものではないということです。そして、ロジカルではありません。その点はご注意ください。
本著を読んでこの著作に傾倒しすぎてしまう方はご自身のパーソナリティの一つとして「影響されやすい」「信じすぎやすい」ということをご自覚されたほうがよいかもしれません。


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